ブログネタ:東日本大震災のとき何してた?
参加中
2011年3月11日。
私はこの日は普通に仕事をしていました。
リニューアルオープンしたばかりの店舗の手伝い、ということで仕事をしていたその時、
…いきなり強烈な揺れが襲ってきた。
まずは店内にいたお客様と他の従業員を外に避難させ、自分はガスの元栓を閉めてから外に出たのですが、
…外には同じように中から避難してきた人間がひしめいた状態。
この時は情報がなかったこともあり、久しぶりに首都圏に大きな地震が来た、ぐらいにしか思っていませんでしたが、
…その時には東北はとんでもないことになっていた。
その事実を知ったのはお客様が全員外に避難し、ガスの供給が止まって営業ができなくなり、ガスの復旧まで事実上の休憩状態になった時のこと。携帯のニュースでこの時の地震の状況を知った他の従業員からの情報だった。
そして、その時の地震の影響で首都圏の交通網が寸断され、復旧の見通しが立たない、ということもその時に知った。近くに住んでいるのならともかく、当時は四ツ木に住んでいましたので、電車が止まってしまっては完全にアウト。最悪自宅に帰れないことも覚悟しました。
ちょうどその日に勤務していたところがいわゆる「ターミナル駅」であり、電車が動く目途が立たないとあれば腹を空かせたお客が来店することは明白。その後はとんでもないぐらいの忙しさとなりました。
その日は何とか23:00に無事にあがることができ、幸い電車が動き出してくれたおかげでなんとか押上まで帰ることはできたのですが、
…さすがに都営浅草線は動いていなかった。
タクシーを使おうにもタクシー乗り場には行列が並び、
それ以前の問題として車道は車で渋滞しており、タクシーが来るはずもない。
仕方がないのでこの日は押上から四ツ木までひたすら歩いて帰ることに。まあ、歩いた、と言っても3駅程度ですからちょっとした運動にはよかったかもしれない。
この時の震災の影響で交通網が寸断されたとはいえ、震度5の東京の被害なんてたかが知れてる。
震源に近く、町全体が崩壊した東北地方の住民のことを考えれば何ともない。
東日本大震災から3年が経過し、我が国のマスコミは震災の記憶が風化している、なんて言っていますが、
…まだ東北の復興は終わっていない。
そして、東北の復興が完全に終わっていないのに、東京オリンピックを招致するなんて狂気の沙汰。
たった2週間のオリンピックのためだけに使われる施設を作るカネがあるんだったら東北の復興に回せばいい。今からでも遅くはないから東京オリンピック開催を返上しろ、と声を大にして言いたい。
今年も3/11を無事に迎えましたが、1日でも早く被災地の復興を願いつつ、この文賞を終了しようと思います。