准胝独部法を始めてから2年半が経過した。毎朝の習慣となり、決まった時間に自然に仏様の前に座っていて、すっかり生活の一部となった。

毎朝同じことを行うのだが、仏様に向き合う時の心は日々変化する。昨日は会社で反省することがあり、どう気をつけても相変わらずのキャラクターっぷりに凹んでいたので、しんみりと心の内を語りかけた。

こういう時こそ仏様からお力はいただけるもので、今朝は後半の護身法の作法を行なっている時にお力を感じた。

なんと、恐れながら、准胝様がガチっと私と一体になってくださる感覚があり、まさに護身法、自分と周囲の境目にしっかりとしたバリアが張られたような感覚となり、六字大明呪を唱えながら安心感と心地よさに浸ることができた。


こういう瞬間がたまにあるのが信仰の喜びでもある。


出かける前の20分は、立禅と動功を行うことを習慣にして半年以上が経った。

いつもベランダの窓に向かって行っているのだが、今朝は課題の下半身の気を練るのかうまくいってるわ…この感覚が脚に気が巡っていることなのかも…と思うと同時に、窓の外に見える大木と目が合った。木には目はないのたが、木と意識が通じ合った感じがして、立禅をしながらしばらく語り合ってみた。


その木は、2階の私の部屋よりもまだ高く、樹齢は100年?もっと?ずーっとここにいるんだね…しっかり根付いたあなたに助けられて、今日の私はしっかり気を降ろすことができたんだね…ありがとう… 木と会話してアルプスのハイジの気分を味わった。


出勤前になかなか不思議な世界に入ったが、いずれの体験も信仰と精神修養の取組みに進化が見られたと思っている。


毎日淡々と続けていることに小さい変化が見られたことは、なかなか幸せだなぁ。



立禅の時に窓から真正面に見える木。