日々ぼ~~っと生きている私は、他人様と比べて感情の起伏が乏しいに違いない・・・という自覚はあります。
また、その感情の起伏を顔の表情や言動に表出させる身体機能とのリンク構築に失敗している感も否めないので、尚更「無感情 & 無表情」に 見えている/思われている に違いない・・・という自覚もあります。
例えば、数人で談笑をしている状況にて。
ぼ~~っとしていて話題に乗っかれないまま ついその状況を無表情で眺めていたりということも少なくない。
その結果、
「馬鹿にしてる?」
と問われたことも複数回あります。
(これは、冗談めかしたノリで言われたこともあれば/本気で訊かれたことも 実際にあります。)
まあ、確かに逆の立場ならそんな風に感じる気がしないでもない。
『喜怒哀楽』の中でも、殊『怒』を表出するのが苦手です。
職場で・・・・・
って、状況を限定しすぎると誰に読まれてるか分からないので、あくまで「一般論として」ということにいたします。
他人を「100% フルパワー」で怒鳴りつけている人を見るにつけ(← あくまで「一般論」です。)、
「この人、大丈夫かな~?」
と心配になってしまう。
というのは。
100% で他人を叱れる前提として、「自分は 100% 正しい」という自信が必要なのではないかと思うのです。
私は自分に自信が持てないのと同時に、常日頃から『事なかれ主義』を貫いております故、他人に対して「怒る/叱る」というのがものすご~く苦手です。
往々にして「100% フルパワー」で怒鳴っている人って 自分の思い違いや/相手の言い分に一理ありと気付いたとしても、最早 振り上げた拳の納めどころを失って更に「120% オーバードライブ」で激昂してしまうという悪循環に陥ったりしてます。
あっ、いや。あくまで「一般論」としてそういうこともあり得る・・・というお話です。
そんな「怒る/叱る」のが苦手な私ですが。
ある限られた状況下に於いては、
「ここは自信を持って怒ってよいのだ!」
と思えることも あるにはあります。
つまりは、「自分が 100% 正しい!」と思える状況。
平日は 車通勤で片道 15分程度の行程を、概ねだだっ広い田んぼの中を走ります。
基本的に区画整理された ” 碁盤の目 “ 状、いや、そんなに細かくはないので “ 将棋盤の目 “ くらい。
その中でも、南北/東西 それぞれに基幹となる比較的広い道(辛うじてセンターラインで車線が区切られている程度ですけど)があり、私は例え信号に引っ掛かるとしても 基本的にその基幹の道路を利用しております。
一方、恐らく私とは逆に信号を避けたいがため(と思われますが)、あえてその合間を縫う細い路地(≒ 農道)を利用する人も少なくない。
更には。
“ 将棋盤 “ を斜めに突っ切る用水路があり、その用水路に沿った細い側道を利用する人もけっこういます。
恐らく、斜めに走ることで ほんの 数メートル~数十メートル程度 ショートカットが可能だからだと思うのです。
基本的に だだっ広い平地なんですが。
その割には交差点ごとに何らかの障害物があったりして、決して見通しはよくありません。
農機具小屋が建っているとか、田んぼの一角が畑になっていて生け垣で囲われているとか。
あと、用水路の側道に至っては、フェンスとガードレールと植え込みの桜の木で 全く見通しが利かない。
脇道側は必ず一時停止の指示になっているので、慎重に左右を確認しつつ そろ~りそろ~りと鼻先を出しながら交差点に進入し、基幹の広い道に右左折で合流する/若しくは直進して突っ切ることになるわけです。
私としては、むしろそんな余計な気を遣って神経すり減らすくらいなら多少の時間的ロスは覚悟の上で信号機のある基幹道路の方を走るし/ショートカットなしで直角に走っても構わないと思うのです。
いや、むしろゆっくりゆっくり鼻先を出して様子を伺っている方が時間のロスは大きいんじゃないかとさえ思っております。
んが。
意外に脇道を選ぶ人が多い。
それ自体は全然 OK なのです。
それが自身の負うべき「リスク」と「合理性」とを天秤に掛けた結果・・・であるのならば。
しか~し。
実情は全く違います。
一時停止を無視して交差点に進入して来る 車/バイク/自転車 の何と多いことか!!
或いは、完全に無視ではないものの およそ「止まろう」という意思を感じさせない勢いで交差点に進入しようとして来て、こちらの姿に気付いて初めて慌てて急ブレーキを掛けるというパターンにヒヤリとさせられることも日時茶飯事。
自らは「合理性」を摂りつつ、尚「リスク」をこちらに おっ被せて来るとは何たる傍若無人な振る舞いか!?
まあ、ホントに日常茶飯事なので それも織り込み済みで常に警戒しながら運転はしておりますけど。
「あっ、来たな!」
と思った瞬間に(私の後ろに)後続車がいないことを確認した上で、ちょっと大袈裟に急ブレーキを踏んで止まってみせます。
一応 ABS も着いてますので、充分に「止まれる」自身があってのパフォーマンス。
そこのところ、至って冷静です。
そして、交差点に入りかけて止まっている相手をこれまた あえてちょっと大袈裟に回避するような軌跡で再発進。
相手の前を横切る際にその顔を覗き込むと、申し訳なさそうに軽く会釈をする人もいれば/目をそらす人も。
何れにしてもそれらのパフォーマンスで一矢報いた感もあり、ちょっと清々しさすら覚えながら走り出して数分後・・・。
徐々に心の中にモヤモヤが募り出します。
「アイツ、もしあの時私の方がブレーキを踏まなかったらどういう結果を招いていたのか、想像が出来ていたのだろうか?」
「現在の交通システムに載るには、あまりにイマジネーションが欠如しているのではなかろうか!?」
思い出すと俄かに腹立たしくなって来る。
何ならあの場で胸ぐら掴んで問いただしてやればよかった。
いやいや。
流石に暴力沙汰はマズイのでせめてクラクションでも浴びせて肝を冷やしてもらわねば腹の虫が納まらぬではないか。
じわ~っと盛り上がった怒りは一旦ピークに達するものの、また数分間走ると もうすっかり忘れてしまってます。
翌日以降、同じ道を走るとその時の状況は思い出すものの、もう怒りは感じません。
それよりも。
“ 次 “ に備えて心の準備をしておくべきかと。
努めて冷静に急ブレーキを踏んで見せるパフォーマンスに加え、間髪を容れず『クラクション』を浴びせて「怒り」を表出してやろうではないか!
そして数週間後。
ついにやって来た次の “ チャンス(?) “ 。
左の脇道から一時停止を無視してノーブレーキで飛び出して来る自転車の女性が!!
いつもの様に極めて 冷静に/且つ大袈裟に 急ブレーキを踏んで停止。
「今だ!!」
心の中で叫んだ私は、ステアリングの真ん中を力一杯 手のひらでプッシュ!!!
「ん??」
鳴らない・・・。
あの~。
そこは『エアバッグ』なんですけど・・・。
私の中の車両に対する感覚が、今尚 “ 昭和 “ なのでした。
・・・そんな自分自身に ちゃんと怒れました。
やれば出来る。
■ FJスズキ ■