他人の動向が気になるのです。 | FLOATING JAM の 『続・浮いたり、沈んだり。』

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どうにも、他人の動向が気になって仕方ないのです。



ここで言う「動向」とは 端的に “ 物理的な動き “ のことでありますが、この言葉、日常的には むしろそっちの意味で使われることの方が少ないのかも。



他人の動向が気になる直接的な要因は、

 〜 ここ 3年くらい、それ以前に比べて外出の機会が増えた。

という私の個人的な事情に尽きます。


もう少し具体的に言うなら、

 〜 人ごみに身を置く機会が増えた。



例えば、駅とか街中とか。



平日は車通勤だし、休日は ほぼ自宅に籠ってるタイプだし。
以前は駅とか街中を歩く機会なんて そうそうなかったのですが、この 3年くらい、主にライブ観覧などで「電車+徒歩」で移動することが増えております。



そんな私が人ごみを歩くと、

 「あぁ、誰も避(よ)けてくれない・・・。」

という感覚に苛まれます。

相手が避けてくれないのなら、他者との衝突を回避するためには こちらが意識的に相手を避ける行動を起こさねばならないわけで・・・。



シチュエーションとしては、いろいろなパターンがあります。



1.例えば『休日の街中の歩道』にて

歩道の場合は、原則的には『(自分自身を含めて)向こうへ行く人』対『こっちへ向かって来る人』とのせめぎ合い。
限られた道幅の中で、「向こうへ行く人」同士の相対的な歩速の差も意識しつつ、「こっちへ来る人」をかわしながら前進します。

『こっちへ向かって来る人』が避けてくれる気が全くしないので、こちらが積極的に避けます。



2.例えば『渋谷のスクランブル交差点』にて

『スクランブル交差点』というシステムが、そもそも “ あの 渋谷の人出 “ を捌くことを想定しているとも思えない・・・という意味では、さすがに ここはちょっと特殊な環境かも知れませんけど。
利用者はあらかじめそういう状況を充分に把握しているわけなので、結果的に “ 暗黙の秩序 “ みたいなものが醸成されて、その分 却って衝突などのリスクは低いと言えるのかも。

まあ、客観的に見るとそれが「なんだか 不気味!」ともいえ、外国人が面白がって撮影しまくってるのも分からないでもない・・・けど、はっきり言って それは邪魔!
(秩序に則っておりませんので。)

余談ですが、同じスクランブル交差点でいえば「渋谷 ハチ公口前」よりも「静岡市 呉服町」のそれの方が むしろ難易度高い気がする。
もちろん 行き交う人々の絶対数では全く比べ物にはなりませんが、それでも交錯する人の流れにウマ〜く乗らないといけないのには変りはなし。加えて、そこに『自転車』が あっちからも/こっちからも 容赦なく突っ込んで来る!!
ヒジョーに危険です。



3.例えば『駅のコンコース』にて

最も如実に「誰も避けてくれない」のを感じるのは、駅のコンコースでしょうか。
歩道やスクランブル交差点との決定的な違いとしては、ほぼ “ 無秩序 “ に人々が行き交っているってところでしょう。
複数の出入り口/改札/券売機/売店など「どこから来て〜どこへ向かうのか/どの程度の歩速か」というそれぞれに異なるベクトルが、限られた空間の中で無数に錯綜しております。
しかも、往々にしてコンコースは 広い割に(ってゆーか 広いからこそ)多数の でっかい柱が等間隔に障害物として立ちはだかっており、それらの間を縫う動作が加わります。

そんな状況下で、私のベクトルと他者のベクトルが交錯するのは必然。
前後左右だけでなく 360° あらゆる方向に意識を振り向ける必要があり、ものすご〜く神経使います。



4.例えば『スーパーマーケットの生鮮食品/お総菜コーナー』にて

こちらも個人的な事情として、以前よりもコンビニではなくスーパーでの買い物の機会が増えたことも手伝っての印象かとは思います。
「人ごみ」とはちょっとニュアンスは違いますが、スーパー側の事情として、通路を狭めてでも雑多に商品を並べる傾向にある気がしないでもなし。(お店にもよりますけど。)
故に、やっぱり それぞれ別のベクトルを持った人々が密集しているという点で、上記のケースと同じようなことが起こります。

 ・狭い通路ですれ違う際、こちらが避けているのに(何なら あえてカゴを(進行方向に対して)縦長な向きに持ち替えたりというパフォーマンスまでして見せているのに)、正面から来る相手は全く意にも介さず 我がもの顔で直進の歩を緩めない。
 ・私の目の前を同じ方向に向かって歩いていた人が、突然 180° ターンして正面衝突しそうになる。
 ・商品の棚の前でじ〜〜〜っと考え込んる人がいて、目当てのものが手に取れない。
 ・と思ったら、突然動き出して これまたぶつかりそうになる。
 ・手当たり次第 何でもかんでもとりあえず触ってみるオバさんがいる。

など。




以上、いずれの場合も周囲の人々の「動向」を予測して 瞬時により安全な道筋を選択したり/歩速を調整したりするわけです。

特に駅のコンコースなどでは、目線を左右に交互に大きく振りながら、場合によっては ステップを踏んで追突を回避したり/体を正対したまま横スライドで正面衝突を避けたりとか。
さらにはそうした際にも斜め後方の安全をチラッと視認した上で 一歩を踏み出したりとか・・・。

恐らく、挙動不審者。

もし知り合いが たまたま私を見掛けたとしても、とても声を掛けられる雰囲気ではないと思います。
(そもそも 私が声を掛けてもらえる対象なのか否かは、この際置いといて・・・。)




こうして、私自身は最大限 周辺の人々の「動向」を意識しながら歩いているつもりなのに、相対する他者からは ほとんどそれを感じられない・・・気がする。


 〜 お互いに このままのベクトルで歩き進んだら衝突は避けられない!!

との予測に基づいて、往々にして私の方が自発的に回避行動を取るわけなのですが、どうも 相手方にその意思の片鱗すら感じられないことが多い・・・気がする。


 「もし今 オレが避けなかったら、アンタは いったいどうするつもりだったのか!?」

と、胸ぐら掴んで問い質したくなるような場面が あまりに多い・・・気がする。





「・・・気がする」の連発で やや自信なさ気なのは、ここまで書いているうちにある事実に気付いてしまったためなんですけど。


即ち。


もしも、行き交う人々がホントにお互いに全く回避行動を取っていなかったとしたら、確率的にもっと衝突事故が頻発していてもおかしくないはず。
まあ、日に何件かは起こってはいるんでしょうが、そういった衝突場面に そうそう出くわすこともない。
ってことは、みなさん いちいち表情には出さないながらも、それぞれに無意識のレベルでちゃんと回避行動は取ってる・・・ってことなのね、きっと。



結果、そこから突きつけられるのは

 〜 FJスズキ、どんくさい。

という 身も蓋もない事実。




う〜〜む。




・・・御意。







他の人たちが「無意識裡」にこなしている至極日常的な何気ない動作を、私の場合は かな〜り「意識的」に繰り出さないと社会生活に適応出来ないってことなのでした。



でもね。
でもね。
一応、それは認めた上で・・・。


お互いを気に掛けている “ 振り “ だけでも してくれてもいいんじゃないのかな〜、と。


「相手側が避けるのが当然!」みたいな態度じゃなくて、「あっ、お気遣いありがとうございます!」的な “ 雰囲気 “ だけでも漂わせていただけたらと思うのですよ。
ウソでもいいから。


実のところ、スーパーで 180 ° ターンでぶつかりそうになった際に「あら、ごめんなさい。」と極自然におっしゃるご婦人などもいらっしゃいます。
別に 声に出さずとも 軽〜く会釈するなり、あるいは ちょっとだけ目線を向けてこちらの存在を意識してることを匂わせていただくだけでも全然違う。

こちとら、『避け甲斐』があるってもんです。






あ、因みに・・・。


本稿では いわゆる『歩きスマホ』は論の外でございます。
歩きスマホなんかしてるヤツらは、落とし穴に落としてしまえばよい。

今時の最先端な技術(例えば 防犯カメラに応用されている画像解析の技術とか)を結集すれば、そんな仕組みも作れるんじゃないかと思いますよ。
ヤツら、目の前に突然落とし穴が現れたとしても どうせ足元なんか見えてないし・・・。


但し。
私が歩きながら見てるのは『スマホ』ではなくて『プリントアウトした Google マップ』ですので、そこのところの判定の精度は充分に高めてから実施してください。

よろしくお願いいたします。





(そのうち怒られる・・・。)




■ FJスズキ ■