こんにちは、MP935Tです。
久しぶりのチョロQ購入記録です
チョロQ zero ランボルギーニ LM002 ラリー仕様です。
先の2モデルに続き、割高なラリー仕様が登場。
ルックスはボンネットが黒くなった程度。。。。
しかしこの「レース参戦」というポイントはランボルギーニの歴史において非常に大きなポイントですので頑張って掘り下げてみます。
これまでzeroでは赤とベージュがラインナップされておりました。
Wikiによるとこのラリー仕様はホワイトがランボルギーニのファクトリーが制作した個体。
シリアルナンバーは「HLA12047」
社を創設したフェルッチオ ランボルギーニさんは社是としてモータースポーツには兎角否定的でした。これは
「当時のフェラーリがレースを本業として市販車はそのための資金稼ぎと位置づけ、ユーザーをないがしろにしていたことに対し反発したため」
「フェルッチオの息子が反対を押し切る形でレースに夢中になっており、刺激しないため」
「フェルッチオ自身がレース中の事故により大ケガを負った経験によるもの」
など様々な説があります。
しかし、社は経営不振などによって、1981年フランスの実業家「パトリック・ミムラン」に売却されます。
氏は社を立て直すために過去の記録から「LM001」を発見、1982年に「LMA002」というフロントエンジンのプロトタイプを試案、4年後の1986年ブリュッセルモーターショーでお披露目
このセンセーショナルな発表とルックス、スペックから元F1ドライバーで4度のルマン優勝者であるアンリペスカロロには「ラリーマシン」として映ったそうです。
社の立て直しのためにも、フェルッチオの制約から放たれた矢先、LM002がラリー制覇を目標建てたのは非常に自然な流れであったことが判明しました。
LM002はランボルギーニ社初の公式レーシングマシンとなった歴史的1台ということです。
LM002ラリー(HLA12047)はパリダカールラリーの制覇を目標に軽量化や足回りなど徹底的なファクトリーチューンが施され、600馬力をマーク。
1987年10月のファラオラリー(パリダカに次ぐラリーレース)に備え、サンドロムナーリ(ランチアストラトスなどをラリーでドライブした名ドライバー)が連ねていましたが、スポンサー(どの会社かは不明)がボートで死亡事故を起こしてしまったことで敬意を表するためにエントリーこそしたものの、不参加。
しかし翌1988年にムナーリとマリオマンヌッチがギリシャラリーにエントリー。
完走は果たせなかったが、3位を維持したと海外サイトでは記述されています。
今回のチョロQzeroのカラーリングは上記2レースに参戦したと推察しています。
しかしLM002ラリーはファクトリーチューンとは別の赤い(オレンジっぽい)個体がスイスのワールドLMレーシングチームによって制作されました。1988年にパリダカールに参戦したゼッケン519のM.KurzenとJD.Coucet組は良い成績ではなかったみたいです。
LM002ラリーには「HMA12046」というファクトリー個体をパトリックミムランの元妻ルーシーミムランさんが所持していましたが
その後、イタリアのレースドライバーのアンドレア・バレンギがこれを購入。
1年以上の大改造を経て、1996年にゼッケン246にバレンギにT.ラムを加えてダカールラリー(この年はグラナダからスタートしているらしい)に参戦
しかし、このLM002ラリーにも悲劇が襲います。
過酷なラリー中に足回りを幾度となく破損、24のスペアも使い切ってしまい、最終的にリタイアを余儀なくされたそうです。
3台の余生についても述べたいのですがなんとなく限界なのであとは誰か頼んだ
ではでは
※本記事は複数の海外サイトを翻訳、情報を吟味、取捨選択した上でまとめており、具体的な信憑性はなく、微妙な情報は見送っております。
※ドライバー名とゼッケンは他社ミニカーなどの資料を照合しています。