邪馬台国沖縄説のススメ | Useless Monologue

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小動物獣医師(フリッパー動物病院@神奈川県逗子市)による日々の雑感覚書。

自らのアイデンティティーに思いを馳せると、どうしても日本人の原点を考えざるを得なくなってしまいます。そうした背景から歴史という分野で特に古代日本史に興味を持っています。

多くの方が日本の国家的原点ではないかと思っているであろう邪馬台国には大いに関心を惹かれますね。果たして本当に原点だったのかどうかという点において。







邪馬台国が何処にあったかというのは日本で300年も議論されてきていることで、様々な場所が候補とされています。九州各地、近畿各地、四国、長野、千葉、岩手etc.。すごいのになるとジャワ島やエジプトなんてのもあります。

でも、まぁ、常識的に考えても、学会の趨勢でみても、九州か奈良が有力と思いますよね。私も高校生の頃まではその何れかなのだろうと思っていました。学会で力のある有名大学の高名な学者様たちがそうおっしゃるのだから。






大学生の頃、邪馬台国の位置情報が記載されている唯一の情報源である「魏志倭人伝」を自ら読んでみたんですね。正直驚きましたよ。この書を何の先入観もなく素直に読むと、九州にも奈良にもたどり着けないのですから。

ご存知かも知れませんが、九州説はその行程における距離を色んな理屈をつけて短縮しないと成り立たず、近畿説は方角の判断を誤ったものとしないと成り立たない物なのです。どちらも恣意的に読み替えて初めて成り立つ説なのですねぇ。この非科学的な解釈には驚きます。






でも唯一の資料の記載内容を誤ったものとしてしまったら、その存在すら危うくなってしまうのでは?

「方角の誤り」「距離の勘違い」などと述べてしまうこと自体、倭人伝そのものを信用に足らない資料、つまりトンデモ資料の類であると言ってしまっているようなものであり、それならばもうどんなにそれに考えを巡らしても、そこから得られる結果は想像の域を出られなくなります。






また、つじつまを合わせるために、各所で銅鏡などの物的証拠の発掘がなされていますが、有力な文書資料がない以上は、より東方に邪馬台国よりも大きな勢力の国がなかったとも言えず、また、邪馬台国を滅ぼして邪馬台国にあった品々を略奪した征服国が無かったとは言えません。ですからどんなに物的証拠を大量に掘り出しても、そこが邪馬台国であることを確定できる証拠にはならないんです。






やはり折角の資料なので敬意を表して素直に読むべきでしょう。歴史というのは先人の残した資料を紐解くのが基本であり、それがこの分野においては最も重要であると思います。少なくとも読み替えは感心できません…。

魏志倭人伝の記述を恣意的な読み替えをすることなく考察すると邪馬台国の女王卑弥呼は何処にいたことになると思われますか?

道程を素直に辿る。そうすると南海にいたります。そうです、魏志倭人伝の示す邪馬台国の位置は沖縄以外は考え難いのです。






だからおかしいというのが九州・近畿両派の意見のようです。しかし何がおかしいのでしょう?全くおかしくはありません。そもそも邪馬台国が日本本土であるという記述など一切無く、ただ「倭人のくに」であると。

学者さんたちは中国が記述している倭人とは我々日本人であり、その地域で最も大きな国は中世以降に支配下に入れた琉球などでは絶対になく、日本本土であるべきだ、あるいはあって欲しいと考えているのでしょうかねぇ。恐ろしい程見事な先入観の賜物ですね。

中国がまず外交対象とするであろう東方の地域はどの辺りまででしょうね。海の向こうの地域とは船による外交を行わざるを得ない当時の交通事情を考えると、朝鮮、対馬を経て海岸線や島々をガイドにして最大限安全に航海できる東シナ海をぐるりと囲んだ地域だったのではないでしょうか。国境を忘れて、目線を変えて地図を見ると、それらの地域は綺麗な環状エリアを形成しているんですね。九州西岸はともかく、それより遠方の近畿などは中国にとって戦略上あまり重要ではないように思えます。






倭人とは何か?中国や朝鮮などの知られた民族ではない東方の異民族の総称に過ぎないと考えた方がいいのではないでしょうか。そうすると上記エリアに住む中国・朝鮮以外の民族は倭人だったのではないでしょうか。実際、朝鮮の南端などは倭人エリアとして扱われているようです。そうすると沖縄なども十分に倭人のくにでしょう。というか、他に呼びようがないのですよ。

しかも、邪馬台国は会稽東冶の東に位置すると明記されており、これは当に沖縄にあたります。ぴったりと。

また冬でも生野菜が食べることが可能で、裸足で生活していたということはかなり暖かい地域だったようです。氷期を抜けて間もない時期であったはずの九州以北でそのような地域があったとは思えません。

加えて民族風習として刺青を入れていたとの記載があり、これは沖縄の風習として近代まで続いていたことでもあります。

九州北部や近畿に邪馬台国を持って行きたい方々はこれらの記載をどのように考えておられるのでしょうね?それこそ極めて不自然な説明になってしまいますね。

また人々の寿命も80年~100年で長寿だったと記載されており、「大げさで誇張された表現」「年の数え方が今と違っていた」といわれているようですが、異民族の年齢をそれ程誇張して記載する意味もなく、半年を一年と数える数え方も実際に行われていた記録はないようです。実際、それならば中国人とそれ程変わらないだろうから別段記載する必要もないと思うのですが…。長寿だったといってるからには長寿だったと考えましょう。実際に長寿県である沖縄に当てはめると全く矛盾がありません。


最近某雑誌を読んで知ったのですが、倭人伝に登場する国の名称も、沖縄の地名を当てはめると現在も同じか類似するような地名が多く残っているようです(詳しくは知らないので調査中)。

反論として「女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり」や「その南に狗奴国あり」という記述が沖縄に矛盾するとおっしゃる方もいらっしゃるようです。

先ず前者。千余里っていうと約500キロちょい向こうの話。それこそ使節は実際には行っていないのでしょう。ということはこれこそ大体の距離に過ぎないでしょうね。であれば沖縄で昔から東の果ての島として知られていたらしい大東諸島に当時は人が入植していたのかもしれません。あそこなら大体このくらいの距離間隔でしょう。現在までに相応の海抜の上昇はあるのでその中心地域は沈んでしまい、結果として長く無人になってしまったという仮説も否定はできませんからね。

とすると女王国の2000キロ南の朱儒国はフィリピン、その東南の裸国・黒歯国はインドネシアかパプアニューギニア辺りとなり、地理的説明も矛盾しない上に、割と距離的にも正確であることが分かりますね。


実はこれが重要で、邪馬台国を沖縄とすると、倭人伝における距離も方角も現在の地図に当てはめることが可能で、しかも当時としては驚く程に正確であることが窺われます。
当時の中国の科学力を考えると、距離や方角を間違えることの方が不自然であり、このように現在の地図と正確にうまく一致する事の方が事実を反映しているように思えるのですが如何でしょう。それでも無理な読み替えをしなければならないでしょうか?

後者も否定理由にはなりません。沖縄本島自体完全な統一がなされておらず海底遺跡のある北谷エリア以北(=邪馬台国)と那覇周辺(=?狗奴国)などは別勢力だった可能性があります。
また有名な海底遺跡の見つかっている与那国島などは古く(1万年以上前)から相当の文化が栄えていたと思われるので、沖縄から南西に連なる島が連合していて狗奴国を形成していた可能性もあります。
あるいは台湾。ここも沖縄もともに琉球と呼ばれており、当時は小さなくにやむらで構成されていたと言われています。現代の線引きでは全く別物のように思われるかもしれないが、東シナ海をぐるりと囲む地域として考えるとその国々は環東シナ海国家群の一部と考えるになんら不自然は無く、その中の強国がある程度の勢力を誇って沖縄地域と争っていた可能性はあります。
実は中国にあれだけ近いにも関わらず、台湾に関しても中国の歴史書では表現の混乱が多く見られるのです。詳細は分かっていないのです。

というわけで、後の大和とつながりがあるか否かは別として、邪馬台国は沖縄にあったという仮説はかなり有力だと思っています。




大和と邪馬台国の関係は資料も無いので明言できません。いくら有無を主張してもただの仮説に過ぎず、文書や書簡などの証拠を発見しなければ意味はありません。

ただ、天孫降臨の神話において、高天原を沖縄(山原)、日向の高千穂を宮崎県の高千穂、ニニギが進軍し宮殿を建てたという地域を福岡県の朝鮮半島に面する地域と考えると、邪馬台国の軍隊が南から進軍して行った様子がリアルに想像できて面白いことは面白い。
海面上昇によって城などが海底に沈み、島自体狭くなってしまったことに危機感を覚えた一部の軍人たちが新たな生活地を求めて、田舎だが広大な平地の拡がっていた地に進軍したのかもしれません。まぁ物語としては悪くないかな。





しかし、わが国の天皇家はあの上品で清楚っでシンプルな顔立ちからして朝鮮系であることは疑いようがないので、大和政権が支配した国は邪馬台国とは全く別の国家なのか、あるいは有力朝鮮系渡来人(天皇家)によって起こされたクーデターによって引き継がれた国ではないでしょうか(大化の改新?)。






現在、沖縄は日本国の一部ではありますが、長きに渉って独自の文化および国家を形成してきた地域であり、所謂「日本」とは別の物として尊ぶべき地域でしょう。そういう意味で、あまり日本の原点を「邪馬台国」や「倭人」に求めない方がいいかなと思っていますが、皆さんはどうお考えでしょう。


以上、素人なので突っ込み所満載でしょうが、ロマンチストの戯言と一笑に付していただければありがたいです。


ただ、与那国や北谷の海底遺跡調査が進展すれば、何か面白い事実が分かるのではないかと大いに期待しています。

何か出てきませんかねぇヒミツ( ̄▽ ̄)!!