診察で何を聞こうか、とか、先生はあの事覚えてくれてるかな?なんて考えてるうちは良いのですが、
どれくらい外出できるかな、自分の事が出来るかな…もっと酸素が身体に回らなくなるのは…
なんて事を考えると、泣きたくなります。
考え、落ち込んで。
ふと。
こんな努力はどうだろう、あんな工夫はやってみてもいいかな、と思えたら、そのしんどさにだって意味がある。
辛くても苦しくても、私にとっては大事に思えてきました。
落ち込んじゃいけないってわけではなくて、苦しみや悔しさ、歯痒さの角を蹴飛ばす為に泣いたんだ!
ただでは落ち込まない!
どうしても良い案や工夫が思いつかない時は…
涙のおかげで、鼻がスッキリした!
こんなバカな事でもいいんじゃないかな。
なぜだか不思議と、急性憎悪を心配したことは、あまりないのです。
今までの病状は、階段を慌てて駆け下り、踊り場でやっと休憩したと思ったら、ガクっと一段下り段がここにもあった、と思うような進行。
慌てて必死に病気の先回りして、障害者認定の手続きや特定疾患申請、ヘルパーさんの手配、年金の手続きを済ませる事に奔走した日々でした。
先回りしていたと思っていたのに、後手だったんだと最近わかってきました。
それでも、手続きは無事、済ませたのですから
次は、9月の主人の入院と私のコンサート。
この目の前の事をしっかり見つめ、泣いても転んでも起き上がらなくては!
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