いやあ、誰もが羽生結弦君みたいになれないですね。当たり前ですけど
思いつくまま、手っ取り早く始められそうなスポーツをあれこれ、双子に習わせました。その1つがアイススケート
北朝鮮と中国の間を流れる鴨緑江でスケートを覚えて、70過ぎてもひとりでスケートリンクに通うほどスケート好きの母親の影響もあって、筆者も幼児の頃からスケートに親しみました。ですが、致命的に平衡感覚が悪く(きっと中耳炎を何回も患って、三半規管に障害があるのだと、言い訳にしてますが)早々に母に才能の見切りをつけられた苦い記憶があります。
(これが鴨緑江。脱北者はこの橋を渡ったりする!)
余談ですが、母は、銀行員の父親(筆者の祖父)の転勤で、中国側の国境の都市、安東(現名は丹東)に就学年齢時に引っ越しました。当時、就職難で銀行の小使いさんをしていた東大卒の若いお兄さんにスケートを教わったそうです。今も昔も上司のご機嫌取りは大変ですねえ。(母は太平洋戦争が始まるとすぐ日本に戻ったので、有難いことに大変な引き揚げを経験していません)
(安東は河口の大都市で、今も戦略的にも商業的にも重要なポイント。)
自分が双子を教えるなんて到底出来ないレベルでしたけど、スケートは筆者に取って馴染みのあるスポーツだったので、車で10分足らずの場所にあるスケートリンク主催のグループレッスンに4歳になった双子を迷わず放り込みました。
息子は、怖いもの知らずだったせいか、始めからガンガンにかなりのスピードで滑ってました。細かいことは無頓着にガシガシ滑る。転んでも気にしない。とにかく、前進する。娘は、めちゃくちゃ慎重。コーチに言われたように、スケート靴の歯を氷と垂直に保ったままゆっくり進む。そして絶対に転ばない。
ひょっとしたら、息子はスピードスケートをさせたらいいのかもなあ、と思ったりもしたんですけどね。スケート命の母は、絶対ホッケーをさせるべきだと言ってました。彼女は、世界で1番面白いスポーツはアイスホッケーだと思ってますから。ちょっと悩んだんですけど、双子を1年通わせて、止めさせました。なんせ、親の方が根性がなかったので。ははは。
自分がリンクで滑っている時は、気が付かなかったですけど、子供たちのレッスンをただ見るのは、いやあ、辛いですねえ。とにかく寒い。
冬のないロサンゼルスに住んでいると、厚手の冬服も持ってないし。サーモスに入れた熱いお茶も焼石に水。辛かったですねえ。すみません。
このまま続けたら、同じリンクで天井からのロープに繋がれてジャンプを練習しているフィギュアスケーターたちみたいになるかもしれないと、全く思わなかったわけじゃないですけど、そこまでの覚悟はなかったですね。滑れるようになっただけで、良しとしようと。
ってことで、双子には単にやったことがある、という事実が残っただけでスケートレッスンは終わりました。無計画です。まあ、ムダも必要ですからね。
次回は、違うスポーツのお話で、お目にかかります。
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