今年の夏休みの過ごし方の途中ですけど、ちょっとお休みして、20年来の友人からもらった珍しい写真をシェアしちゃいます。
ロサンジェルスの中でも渋滞で有名なフリーウェイ405号線の写真。なるほど。こんな405は見た事ないかも、です。
(これが、もらったフリーウェイの写真)
フリーウェイ405はロサンゼルス郡を南北に縦断してオレンジ郡まで結ぶフリーウェイです。ロサンゼルスはアメリカ第2の大都市ながら、公共交通機関がそれほど発達していなくて、今も車社会です。ニューヨークなんて車を持っている人の方が少ないですけど、ロサンゼルスでは、大人はまあ、誰でも車を持ってる。ごく普通の家庭に2台や3台とかの車がある。
(赤い線がフリーウェイ405号線)
と言うことで、交通渋滞は必然。筆者もロサンゼルスの東側にある郊外の小さな町に住んでましたけど、ダウンタウンへの通勤はもちろん、車でした。オフィスまでたった10マイル(約16キロ)だったんですけど、通勤時間は1時間。まあ、こんなもんです。
南北に走るフリーウェイは405だけなので、恐ろしいほど混みます。駐車場状態。ローカルの人間は『フォー・オー・ファイブ』とこのフリーウェイのことを呼びますけど、これを『4 or 5』とかけて、自虐的に時速4から5マイル(時速5、6キロ)で進む道と言われたりしてます。それほど、渋滞が激しい。実際は平均時速8マイル(時速9キロ)らしいですけど。それでも制限速度が65マイルの道としては、笑っちゃうような速度。
と言うことで、友達のデーブからもらった写真は貴重。長い前置きで、すみません。
デーブは、マサチューセッツ州出身。高校・大学時代からずっとオールタナティブ・ロックバンドをやってて、これを仕事にしようとロサンゼルスに来た人です。まあ、ロサンゼルスにはそんな人は星の数ほどいる。俳優志望の方が多いかもしれませんけど。
(デーブの大学時代のバンドメンバー。デーブは右端)
大志を抱いて来たものの音楽だけでは食べて行けず、不動産屋の仕事も始めちゃったと言う、ロサンゼルスにはありがちな経歴の持ち主です。とは言え、20年以上もずーっと色んなクラブで演奏して来たのは、大したもんです。ぶっちゃけ上手い。これ、ホント。ちゃんと根強いファンもいます。
筆者は知り合いに紹介されて、デーブを不動産屋として雇いました。当時20代で、背の高いイケメン。それも、彼のことを気に入った理由だったりして。ははは。今は、同じ人かと思っちゃうくらいのただの小太りのオジサンです。月日は非情。
気がついたら、彼に3回も売買をお願いしてた。買って、売ってだから延6回。かなり、儲けさせちゃったかも。有難がってよね。
ロック青年だったデーブが紹介してくれたハンディマン(家の不具合を修理してくれる大工さん。電気とか水道とかもできたりする文字通り便利な人)は、別のバンドに入っているギタリストでした。
アメリカではハンディマンは重宝されます。持ち家のある人は、いつも優秀なハンディマンを探している。デーブが連れて来たハンディマンは、仕事は早いし、安いし、良かったんですけど、彼はデーブの売り買いする物件の修理に忙しい。それにクラブでのギグもありますしね。はははは。
残念ながら気に入ったギターリスト兼ハンディマンは、すぐ来てもらえないこともあって、その後も色んな人を雇いました。
あの伝説のウッドストックに出たバンドのドラマーも雇っちゃいました。これ、自慢になりますか?なりますよね。
バンドのメンバーのひとりが、召集令状をもらっていて、ウッドストックの翌朝にはどうしてもカリフォルニアで入隊しないと行けなかった。このバンド、メージャーレーベルから2枚だか3枚だか既にアルバムが出ている結構、人気バンドだったのに、頼んで1日目の初めに演奏することにしてもらったとか。だから、映画の撮影のセットアップも出来てなくて、有名なウッドストック映画にもちゃんと登場出来ない結果となっちゃったんですね。残念。だから、ベトナム戦争から帰って来てからは、パッとしなかったみたいです。こんな話を本人から聞いても、筆者はちょっと世代が違うんで、ふーーん、て答えちゃったんですけど。ごめんなさい。
このウッドストック出のミュージシャンとは、散々、『サブゼロ』という高級冷蔵庫の話をしました。なんだかなあ。
(1969年8月15ー17日に開催されたウッドストックのポスター)
本当に好きなこと、やりたいことが出来ればそれに越したことはないんでしょうけど、デーブも音楽だけじゃなくて、不動産売買も楽しんでみえるんですよね。まあ、いいんじゃないですかね。何をやっても。
皆さんも、楽しくお過ごし下さい。
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