家族の形(その4):続 養子縁組 | 双子をアイビーリーグに入れた母が綴る『知らないと損をするアメリカの教育事情』

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双子の子供を2人ともアイビーリーグに入学させた母親であるフレックスラーニングのシニアカウンセラーがニューヨーク近郊から発信しています。フレックスラーニングはアメリカ大学進学相談、オンライン家庭教師のプロです。

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作家の林真理子がどこかで、誰でも本を書きたがるけれども、作家になれる人とそうでない人の違いは、最後までストーリーを書く事が出来るかどうかだ、と言う話をしていました。まあ、そう言うもんなんだろうなあ、と妙に納得した覚えがあります。ですから、筆者も養子縁組の話を最後まで頑張って書きます。

 

アメリカでは、家をついでもらう為ではなく、子供が欲しいとか、人道的な理由で養子をもらうことが多い。特に、人種の違う子供を海外からもらって来るのは、社会的なステータスのuようにも見受けられると言う話をしたところで、前回は終わりになっていました。

 

ちょっと前までは、日本では家を存続させるために養子を取ることは日常茶飯事で、筆者の父も子供のいない母親の実家の後継になりました。要は、おじいちゃん、おばあちゃん、の家を引き継いだんですけど、戸籍上の話で、実際には、同居すらしませんでした。実家で育った。ちょっと、変ですけど、まあ、養子は養子。戦前生まれの父の時代とは違いますけど、筆者の高校時代の友人(今も仲良しですけどね)は、子供のいなかった伯父さんの家に生まれてすぐに貰われました。もらった養父は長男で、本当の父親は次男。まあ、本家を継いだと言うことになるんでしょうけど、お嫁に行っちゃったのでこの家は結局これでお終い。まあ、今時、子供の数も少ないし、多くの人が長男、長女だし、こう言うこともありかなと。

 

話をアメリカに戻します。

 

娘が高校の時に、アイビーリーグ大学の夏期講習に出かけて、ウィスコンシンから来た女の子と友達になりました。この子の話を娘がしてくれた時、ファーストネームとラストネームから判断して、白人だと思っていたんですが、その後UCLAと南カリフォルニア大学(USC)を見学に来たついでに我が家に遊びに来て驚きました。アジア人。要は、中国から貰われた子供。

(ブラウン大学の図書館)

 

娘がその友達の話をしてくれた時、サマースクールで二人でどんなことをして面白かったかを散々、話してくれたんですが、彼女の見かけには全く触れなかった。そのあたり、娘のことを誇らしく思いましたね。人種だとかは、全く関係なくて、好きな子は好き。ちょっと、見直しました。

 

この友達、お父さんが一緒に大学見学に来ていたので、お会いしました。アングロサクソン。UCLAとUSCどちらに行くにも便利なビバリーヒルズのフォーシーズンホテルに泊まっていて(便利でも、普通の人は高くてあまり泊まらないですけど)せっかくなので、是非、ディナーをご一緒しましょうと言われ、ノコノコ出掛けました。あちらが遠方から来ているので、娘も好きな牛角にでもこちらがご案内しようとしたのですけど、いつもロサンジェルスに来たら行く大好きなレストランがあるので、勝手だけど、そこで会いたいと言われたのが、セレブ御用達の超一流レストラン。いやあ、びっくりしました。高校生を連れて行くような店じゃない。そんなこんなで、あちらの奢り。

 

せめて、ここで一番安い物を選ぼうとメニューを睨んでいたら、お父さんに、色々頼みたいので、シェアしませんか、と言われ、諦めました。覚悟を決めて、ご馳走になろうと。それからが驚きの連続。このお父さんと娘、メニューを見ない!ウェイターを呼びつけて、メニューにあるものもないもの、注文する。何なんだこの父娘!もう、どうでも良くなりました。美味しかった!

 

娘たちがおしゃべりに興じている間に、教えてもらいました。白人のお父さんは、どう見ても純粋なアジア人の娘との関係を取り沙汰されるのが嫌で、ルーティーンになっているのかもしれません。聞きもしないのに、彼女が6歳まで中国の孤児院で育った子供だったと、教えてくれました。言わなくても、見れば分かるんですけどね。

 

貰って来た時には、既に物心もついているし、言葉も全く分からないし、アメリカに来て子供ながらに大変だろう、と出来る限りスムーズな移行を試みたんだそうです。全く中国人がまわりに居ない環境だったので、とにかくリラックスさせようと中華レストランに連れて行った。だけど、そこのウェイトレスには一言も口を聞かなかったどころか、顔も見なかったそう。それまで、中国から来て、言葉も分からないし、喋りもしなかったそうですけど、帰りがけに『ダディ』と始めて呼んでくれたんだそうです。この子が中国語を話すのを中国を出てから、一度も聞いていないそうです。

 

切ないですよねえ。中国でどんなに辛い生活をして来たんだろうかと。小さい子供ながらに、それまでのことを全く抹殺してしまいたかったんだろうなあ、と。自分のアイデンティティを全く否定してしまった。

 

この子は、貰われた家でお嬢育ちをしました。セレブ御用達のレストランでの豪遊でもお分かりでしょうけど。ハワイの島巡りを自家用のクルーザーでしている写真をインスタにあげたりしているような環境。そんな家の一人娘。能天気な筆者の娘は、『グレース、いいなあ』なんて羨ましがってる。まあ、普通の反応でこの子と付き合うのは大切かもしれませんけど。

 

それにしても中国での生活とアメリカでの生活のギャップの大きいこと、ハンパない!中国の極貧な生活と今の生活を足し引きして、彼女の人生帳尻がうまくあっているのかもしれませんけどね。まあ、もの凄く可愛がられているから、良しということで。

 

大金持ちではなくても、中国から養子をもらう人は沢山います。

 

知り合いに、ロサンジェルスで有名なフレンチジャパニーズのレストランを経営しているご夫妻がいるんですけど、こちらも子供がいなくて、中国から二人女の子をもらっています。不思議なことにお母さんと二人の女の子はソックリで、養女だとは思いもしませんでした。言わなきゃあ分からないのに、このお母さんは、日本人ながらすごくオープンで、知り合ってすぐの頃、筆者に中国からの子供達だと教えてくれました。養子縁組のエージェンシーに登録すると、マッチするような子供がいたら連絡が来て、アメリカからそんな人たちでツアーを組んで、中国に子供を迎えに行くんだそうです。何故か、手続きを懇切丁寧に教えてくれました。

 

上の子は、5歳になって引き取られたから、名前は中国名のまま。但し、日本語読みにしている。下の子は、赤ちゃんで引き取って、自分たちで名前をつけた。物凄く仲良し親子で、どこへ行くのも、何をするのも一緒。顔の表情が一緒だからかもしれませんけど、娘たちみんなお母さん似になりました。物凄く、いい家族です。子供達は、週末は日本語学校に通って、全くの日本人になりました。自分たちも日本人だと言い切っています。でも、このお宅きちんと、二人に中国から貰った子供だと話しています。

 

養子縁組をしてうまく行っている家族をみると、子供達は自分が貰われたことをきちんと知っていること、でも親たちは、どうしてもその子供が欲しかったんだ、ということをきちんと理解させているように思えます。出来ちゃった婚だとか、予定外に出来た子供だとかで、本当の親に流れで育てられるよりも、欲しくて、欲しくてたまらなかった子供を貰った親の元で育つというのも、悪くないよなあ、と考えちゃいました。

 

これも、いい感じの家族の形。


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