たまには、読後感想文。読書の秋が近づいた、と言うことで。
宮下奈都の『羊と鋼の森』をランチを食べながら、読み始めて2時間、没頭して読み終えました。最近の本らしく、字も大きいし、ページもスカスカだし、薄いし、軽く読めるであろう、と思って、あまり期待せず、図書館で借りて来たのですが、思ったより、楽しめましたねえ。(アメリカの図書館によっては、少し、日本の本を置いてあるコーナーがあります。)単に、表紙に楽譜が書いてあったので、音楽ものだろう、と思って手に取っただけなんですけどね。筆者は、クラッシック好きです。
(ニュージャージー州パラマス市の図書館)
内容は、軽めですけど、ピアノの調律のことを題材に、うまく話を展開したなあ、というのが感想。作者が後書きに、45年間自分のピアノの面倒を見てくれた調律師さんに感謝していましたが、この人も、子供の頃から、調律師には、思うところがあったんだろうなあ、と妙に嬉しくなって、このブログも書いてしまっています。
筆者の母は、満州でその昔、お嬢様暮らしをしていた人ですが、子供の頃から家にピアノがあって、家とは、そう言うものだ、と思っていたフシがあります。筆者は、その『元お嬢』が戦後、住むことになった小さい借家で、小学校卒業まで暮らしましたが、そんな家にもちゃんと黒光りのするカワイのピアノがありました。
そんな借家に、年に1回調律師が来ていました。何故か、調律師が来る日は、母も楽しそうで、特別な日だったような。調律した後に、彼はいつも、鍵盤を高いところから低いところまで網羅するショパンのエチュード弾いて、仕上がりを確認。母にとっても、自分の家で、そんな激しい音を聞くなんて、それこそ、『革命』的だったのかもしれませんねえ。自分は、ピアノに拘る割には、下手でしたから。
ちょっとしたリサイタルを聞かせてくれるので、我が家では、調律師さんは、ピアノの先生以上に凄い人だ、と言うイメージが定着しておりました。ピアノの先生は、ただ弾けるだけですからね。母がいそいそと、ケーキとお茶なんか、用意していたような記憶があります。この本に出てくるピアニスト崩れの秋野さんみたいな人だったのかも。実際、筆者の年の離れた姉も、ピアニストになれそうもない、と見切りをつけた高校の時に、その調律師さんにしきりと調律師養成学校の話を聞いていましたっけ。結局、普通のピアノの先生になりましたけどね。だから、この本は、多分、作家が思いもしないレベルで、筆者にアピールしました。久しぶりに、あの小さい借家暮らしを思い出しました。
そう言えば、漫画の『ピアノの森』にも、ショパンコンクールに入賞した凄いピアニストなのに、主人公のピアノを愛するあまり、『カイの調律師になる!』って言う人も出て来ましたよね。それにしても、この本と『ピアノの森』は、ちょっと似ているかも。森に育てられた調律師とピアニストですから。個人的には、漫画の方が好きかも。ごめんなさい。
(『元お嬢』の呪いから逃れられず、ピアノを弾く筆者の息子)
やっと、造成地に一戸建の家を建てた我が家に来るようになった新しい調律師が、ピアノが弾けないことに、『元お嬢』は、驚愕し、どうしても信じられなくて、『まあ、ご謙遜』と何度も繰り返し、調律師さんを辟易とさせた、と言うエピソードが続きます。どうでもいいですけど。『元お嬢』は、結構、無神経です。
筆者も血は争えないのか、どこにいてもピアノが無いと落ち着かず、アメリカに来たばかりの頃は、レンタルし、一戸建を手に入れたらすぐに貯金を叩いてヤマハのピアノを買いました。ところが、カリフォルニアからニュージャージーに移住する時に、買った値段の20分の1の値段で、泣く泣く売り、いまだに新しいピアノを手に入れていません。ピアノを置く場所は、確保してるんですけどね。
うーーん、どうしよう。ピアノやっぱり欲しいよねえ。それとも、心機一転、チェステーブルを置くか?うーーん。
本業と全く関係ないブログばかり書いているじゃないか!と言われるとまずいので、最後に一言。ピアノが弾けるのもアメリカの大学に行くには、プラスですからね。
それでは、今度こそ、ごきげんよう。