不況からの脱出ネットビジネス落ちこぼれの逆襲! -4ページ目

自然の洗礼

どうもです。Tamaです。



少しずつ寒くなってきましたが


相変わらず野ら生活を続けています。



今月は秋の収穫期というところですが


素人集団の我が社は自然の洗礼を受けてしまいました。



もともと水はけの悪い畑ということは聞かされていたのですが


春から夏にかけては大雨になったことが無く、


ここまでとは思いませんでした。



その結果先日の大雨で


無残にもキャベツたちはこの様な状態に・・・・・。



不況からの脱出ネットビジネス落ちこぼれの逆襲!-キャベツ1



不況からの脱出ネットビジネス落ちこぼれの逆襲!-キャベツ2


さらには主力のピーマンを植えているハウスの中まで浸水・・・。


おかげでこの2週間潅水作業が無くなりました。



加えて大事に?育ててきたとうもろこしも


期待を裏切り価格が暴落!



結局出荷を取りやめて


自家用に収穫したほかには


当初の予定通り緑肥として畑にすきこみ


現在はこんな状態です。


不況からの脱出ネットビジネス落ちこぼれの逆襲!-とうきび9

雌雄同体

どうもです。Tamaです。



もうすぐ8月も終わりというのにこの暑さはなんだ?


なんて言いながら農作業を続ける毎日です。



そういえば6月に画像をアップしたとうもろこしも


もうすぐ収穫という段階に入りました。



2ヶ月前には3センチくらいの葉っぱも


今では私の身長をはるかに上回りこんなに大きくなりました。


不況からの脱出ネットビジネス落ちこぼれの逆襲!-とうきび1


いやあ担当者の管理のいいかげんさに負けずに

良く育ったこと・・・。



とうもろこしは雑草に強い!!


なんて言ってられないので最後の除草をしました。



不況からの脱出ネットビジネス落ちこぼれの逆襲!-雌雄



と、ここで珍しい個体を発見


なんと雌雄同体のとうもろこしです。


汗かきまくり

どうもです。Tamaです。



たまにブログをのぞいて見ると


いやはや読者さんの減ったこと・・・・・。



でも根強く残ってくれている方は

有り難うございます。



ところで北海道とはいえ

このところの暑さはたまりません。



しかもこの時期ビニールハウスの中は

ともすると40度や50度


はっきり言って作業をする環境ではありません・・・。



ということで日中はハウスの外で

朝と夕方はハウスの中で


どちらにしても汗かきまくりの状態!



収穫といえばピーマンの他に


暑さのせいか食いすぎても太らないことかな?

どうやら収穫は・・・。

どうもです。Tamaです。


今月もなんとか更新・・・ふう



野良生活ですが


遅れながらも何とかやっています。



そもそもビニールハウスなんて


北海道でも3月には完成しているのがあたりまえですが


我が社の場合は3棟目がやっと今週できたところ



ハウスの1号2号には社長の好きなピーマンを植えて


畑にはジャガイモ、とうもろこし、

枝豆、南瓜を先日植え終わって

いったい収穫はいつになるのか・・・。



そもそも収穫ができるのかどうかという

冒険だらけの企画ですが



失敗してもそこから生まれるのは

成功するためのプロセスという

思いっきりポジティブな感覚で続けています!!



今週は苗から育てたピーマンの初の収穫があり

一人3個のお持ち帰り。



私の担当はとうもろこしですが

どうやら収穫は秋になりそうです。


不況からの脱出ネットビジネス落ちこぼれの逆襲!-とうきび

不況からの脱出ネットビジネス落ちこぼれの逆襲!-きび1

やっと完成!

どうもです。Tamaです。



何とか今月も更新が出来ました。

(もっと早くしろって・・・・。)


今となってはこのブログ

誰が読んでくださるのかもわかりませんが

ある方との約束と意地でなんとか続けています。


ところで今年始まった野良生活

幾多の問題を乗り越えてやっとハウスの完成



不況からの脱出ネットビジネス落ちこぼれの逆襲!-ハウス1号

たかがハウスといえども

これまでにどれだけのドラマがあったことか・・・。


いっぱい失敗して


いっぱい叱られて


いっぱい社長とケンカしています。

(クビになるかな・・・・。)


ちなみにこのハウスあと6棟は建てる予定・・・・大汗



我が社のハウス1号

どうもです。Tamaです。



ちまたではゴールデンウイークだって・・・・。


テレビでは妙にうきうきした画像が流れていますが



今年から本格的に始まった


野良生活をしている自分には


まるで他所の世界の話



で、何をしているかというと


雪解けが遅くて


やっと1棟目のハウスの組み立てに取りかかっています。



野ヤジってノギャルをもじった


自己流の表現ですが



やってることは大工だったりペンキ屋だったり


土木工事だったり電気工事だったり


PCの文字入力だったり・・・・




直接会社の利益になる仕事は???




つまり今のところ


農家らしいことはほとんどしていないわけで


いつになったら収穫が出来るのでしょう?



P.S.


経営者のおやじさんのハウス増築を手伝いました。




不況からの脱出ネットビジネス落ちこぼれの逆襲!-あい


これが完成図



ここで我が社のハウス1号のアーチパイプ1本目



不況からの脱出ネットビジネス落ちこぼれの逆襲!-ハウス1号


このパイプ建ては小さな一本ですが


我が社の快進撃はあそこから始まったと


きっと言って見せます・・・。





野良生活のはじまり

どうもです。Tamaです。



うかうかすると今月も終わろうかというところで更新


さぞや読者さんも忘れているだろうな


と思いきや不思議と変わっていないのは何でだ?



って新しく読者登録してくれた方のおかげです・・・・感謝。



さて、サクラ前線は今どこに?


という季節ですがこちらはまだ雪、雪、雪という感じで



今年から本格的に始めた野良生活


のスタートが遅れています。(汗)



先日は生まれて初めて融雪剤なるものを畑に撒きましたが


機械が無いので手撒き



さらに小さな事務所を設置するために


積もった雪を排雪するのも人力



使わせていただく作業用の物置には


50年分のホコリが溜まっていて


それをかぶりながらの清掃もひと段落しました。


まさに北の国からという感じ・・・。



スタッフ一同「いつかこれを笑い話にしよう!」


と意気込んでおります。



つづく



ただの日記ですが・・・・3

どうもです。Tamaです。



なんだかブログの方向があっちへ飛んだりこっちに転んだりと


定まらない状態になっていますが


この様な中、読者をしてくださるブロガーさんには感謝です。



でもちょっとほめすぎっ・・・。



で、先日の続きですが


母親の転院先から言われた退院後の方向について


父親は我が家に一緒に住むことを希望・・・汗



私としては妻の気持ちに一任ということにしたが


不思議にも即答で快諾



これが昨年11月の初めの話で


一気に下準備に追われることになった。



問題は退院してくるまでに母がどれだけ回復してくるかで


大きな期待はしていなかったが


当初の予想をくつがえして食事はほぼ問題なし



トイレなども見守りだけでこなせるまでに回復


玄関や風呂を除いては手すりも必要ない状態



残された課題はコミュニケーションのみとなった。



退院までに2度試しに我が家に外泊してもらったが


この段階では要求していることがまるで解らず



大きな不安を残したまま退院の日を迎えた。



外泊の段階では


明らかに病院に帰りたいというそぶりだったが


今回はよほど病院に言い含められたのだろうか?



どうやら我が家を自分のこれからの住まいと


納得してくれたみたい。

ただの日記ですが・・・2

 

どうもです。Tamaです。


昨日久しぶりの更新と共に続編を匂わせておいたので


日記の続きを書いています。



母が救急車で運ばれた病院は


規定により3ヶ月での転院を余儀なくされた。



発症直後に医師から聞いていたのは


ホスピスなどへの転院、


表現は悪いが植物状態になる可能性が大といわれて


小心者の自分は数日間を


味わったことの無いやるせなさで過ごした。



それから3ヶ月大方の予想をくつがえして


自力歩行で退院、次の入院先へと向かった。



ここでの目的はリハビリ主体で


自分を含めた家族の意向はたとえ麻痺が残っても


コミュニケーションを取れるようにしたいということで一致していた。



失語症に失行症という後遺症をかかえた母にとっては


ある意味過酷な期待だったのかもしれないけど


施設ではなく自宅で介護ということになれば必須の条件。



それと共にこの病院も3ヶ月しかいられないということで


退院後の対応をせまられた。



数日悩んでみたが最終決断は父親


しかし83歳という高齢の父にすべてを任すということは


その分死期を早める結果にしかなりえないわけで


家族のQOLも考えた上で


施設と自宅介護の併用という手段を模索してみた。




父親としては生まれてから一度も離れたことの無い


夕張に固執していたが状況を再認識



自分ではなく妹の住む町にアパートを借りて住もうか


という考えを持っていたみたい。



正直な気持ちではこれを聞いて自分も安心していた。



いざという時には車で15分ほどで駆けつけることも出来るし


病院や介護施設も充実している。



しかし、この安心もわずか数日


父親の決断が我が家に衝撃を呼ぶことになった。

ただの日記ですが・・・・。

どうもです。Tamaです。



ただの日記ですが・・・・。


今月から始まった両親との同居


そして、半年前には予想していなかった介護生活



2年前に取得してまるで役に立たなかったと思った


ヘルパーの勉強が少しだけ生きてるかも知れない。



いつかも書いたけど


事の始まりは昨年7月に母親が脳梗塞で倒れたことによるもの



自慢話になるけど


倒れた直後に運ばれた病院では一生寝たきりの


言わば生きているだけの状態になる可能性が大という診断だった。



ふつう脳梗塞というと


発症から3時間以内の治療でほぼ全快すると聞いていたので


ショックを感じるよりも


医療機関の対応のまずさに怒りを感じた。



のちにこれは誤解で


母の場合は不整脈が原因の脳梗塞としては重症の部類で


治療までの時間が早くても


回復が見込めないというものらしいと解った。



それにしても一筋の希望も感じさせないほどの


医師の言葉には反発


自分になにが出来るわけでもないのに


こんなクソ病院歩いて退院させてやると心に誓った。



最初のひと月ほどはまるで進展なし


家族や身内はわずかばかりの変化に一喜一憂していたが


まるでコミュニケーションがとれず


右手右足完全麻痺で食事も管を使った得体の知れないもの。



このままヤブ医者の言うままに死期を待つのみなのだろうか?



かすかに光明が見えてきたのはリハビリが始まった2ヶ月目からのこと


78歳という年齢ではめずらしいと


介護スタッフも賞賛するほど運動機能は回復し始めた。



歩行も杖をついた状態から独自歩行、


食事も流動食からはじまりとろみ剤を混ぜたもの


そして3ヵ月後には通常の食事が出来るように回復。



退院時(実際には転院)歩いてこの病院を出ることが出来た。



・・・自分の心の狭さを暴露すると


ヤブ医者には「ざまあ見ろ」と言いたかった。

(仕事で退院に立ち会えなかったのは残念)


もちろん介護やリハビリにあたった


スタッフの皆さんのおかげであることは言うまでもないけど。



ちなみに全快というわけではなく


後遺症として失語症、失行症が残った



しかし回復の力に驚かされたのはこれだけではなかった。