つまりは、「時」の経緯のモンダイで、
「時」については別件での「能書き」展開とナルからでRRR。
・・・
[てことで、わが特殊「初恋」s(笑)へ]
「破局」は「遠距離」
が原因か、と言えば、、私の場合は、そうではなかった。
たぶん、女性が「結婚」

を考える、そこから意識のずれが生じてくる、
と、私の場合はそのようであった。
そのケースで、後年も、はっきりしているだけで二件、
やはり「破局」があった。
で、十代の恋、

について言えば、基本的に「純愛」であるべきである。(^_-)-☆
「なう」(笑)では流行らないかもしれないが、
いやいや、
長い顎じゃねー「ろんろんあごう」ですら、
実は「なう」くはなかった鴨葱じゃーねー、
「かもね」だったとは言えるのだが、
(わが「ヰタ・セクスアリス」については、鴎外の作品がらみで、
いずれ「母艦HP」でのメニューとして予定しているので、
そっちの復活を御期待。。)
・・・ここに、「精肉」のアンビバレンツとそれゆえの「余韻」が生じる。
ここに、「矛盾」というダブルスタンダード、して、
「遊び」と「真剣」の間合いが実感される。
と、あとになって実感する。
できれば、その繰り返しの経験のなかで、
こそ、
たぶん、真の「プラトン的ラブ」という「思い出」の、
個別→普遍の窓が開いてゆくはずである。
で、「純」でないところの「愛」もまたありうることは、
これは相当のハードな構造
であるから、とてもとても、十代には無理無体なものである。
後年の「思い出」とは、
ココロも身体も、タッチとアンタッチャブルの境目で、
こそ有り得ると、
少なくとも十代の私はそうであった。
たとえば結婚に至ったとしても、
これはたぶん、ともに白髪の生えるまで、
生活という雑多な、日常茶飯のマンネリがあったとしても、
やはり「思い出」が有り得るかによって、
ココロが中心に来るか、下に来るかとなるようである。
遠距離恋愛が、カノジョの、
短大卒業間近の夏に、
カノジョからの「屈折した意思表示
」で終わったあと、それでも私はカノジョが好きであった。
とまれ「十代の恋よさようなら・神戸一郎」を。
(念には念のため、S32年にあちしが大学生だったのでは決して!!ナイどぇ(笑))
して、三年後
、、私がかなりシビアな「仕事」でカノジョのいる都市へ立ち寄ったとき、
ふと時間が空いたので、何げにティンガリン、、
その時、三年前と同じ弾み方で反応した。
で、私はすでに「入籍」していることを伝え、
カノジョも二ヶ月後に結婚するとか
、、にもかかわらず、いや、だからこそ、
「ちょと逢わない?」「いいよ!!」
てなことで、過去のデートコースを、半日過ごす
。以前のように手をつないだり腕を組んだりは無しにして、
しかしどうしてこう自然なんだろーか、
そして本当に「別れ」の時間が近づいたころ、
「東京へ行くこともあるので、その時電話していい?」
とっとっと、、、カノジョが切り出した。
「俺はいいけど、、おまえさんの亭主に悪いじゃん、、」
「……。」
そして、遠距離のころ、いつも私が見送られていた、
その逆に、私がカノジョを見送った
、、。この、「見送り」の後の、
「どうにもならない切ない気持ち」を、
かつて私がカノジョから訴えられて、
そのとき、
ホンの僅かだが、やっと理解できた。
、、、つづく。