「地上の思い出」-「別れ」はキツイ=「難局1号」からの移転「女性論4」 | 「黄色潜水艦」遊びジャーナル(仮2)
[今回は、能書きはナシ]

つまりは、「時」の経緯のモンダイで、
「時」については別件での「能書き」展開とナルからでRRR。

・・・
[てことで、わが特殊「初恋」s(笑)へ]

「破局」は「遠距離」新幹線が原因か、と言えば、、
私の場合は、そうではなかった。


たぶん、女性が「結婚」おひなさま信号機を考える、
そこから意識のずれが生じてくる、
と、私の場合はそのようであった。

そのケースで、後年も、はっきりしているだけで二件、
やはり「破局」があった。

で、十代の恋、ラブラブクラッカーについて言えば、

基本的に「純愛」であるべきである。(^_-)-☆

なう」(笑)では流行らないかもしれないが、
いやいや、
長い顎じゃねー「ろんろんあごう」ですら、
実は「なう」くはなかった鴨葱じゃーねー、
「かもね」だったとは言えるのだが、

(わが「ヰタ・セクスアリス」については、鴎外の作品がらみで、
いずれ「母艦HP」でのメニューとして予定しているので、
そっちの復活を御期待。。)


・・・ここに、「精肉」のアンビバレンツとそれゆえの「余韻」が生じる。
ここに、「矛盾」というダブルスタンダード、して、
「遊び」と「真剣」の間合いが実感される。

と、あとになって実感する。

できれば、その繰り返しの経験のなかで、
こそ、
たぶん、真の「プラトン的ラブ」という「思い出」の、
個別→普遍の窓が開いてゆくはずである。

で、「純」でないところの「愛」もまたありうることは、
これは相当のハードな構造台風であるから、
とてもとても、十代には無理無体なものである。

後年の「思い出」とは、
ココロも身体も、タッチとアンタッチャブルの境目で、
こそ有り得ると、
少なくとも十代の私はそうであった。

たとえば結婚に至ったとしても、
これはたぶん、ともに白髪の生えるまで、
生活という雑多な、日常茶飯のマンネリがあったとしても、
やはり「思い出」が有り得るかによって、
ココロが中心に来るか、下に来るかとなるようである。

遠距離恋愛が、カノジョの、
短大卒業間近の夏に、
カノジョからの「屈折した意思表示ヒミツ」で終わったあと、
それでも私はカノジョが好きであった。


とまれ「十代の恋よさようなら・神戸一郎」を。
(念には念のため、S32年にあちしが大学生だったのでは決して!!ナイどぇ(笑))




して、三年後砂時計、、

私がかなりシビアな「仕事」でカノジョのいる都市へ立ち寄ったとき、
ふと時間が空いたので、何げにティンガリン、、
その時、三年前と同じ弾み方で反応した。

で、私はすでに「入籍」していることを伝え、
カノジョも二ヶ月後に結婚するとか祝日、、

にもかかわらず、いや、だからこそ、
「ちょと逢わない?」「いいよ!!」
てなことで、過去のデートコースを、半日過ごす夜の街

以前のように手をつないだり腕を組んだりは無しにして、
しかしどうしてこう自然なんだろーか、

そして本当に「別れ」の時間が近づいたころ、
「東京へ行くこともあるので、その時電話していい?」ニコニコとっとっと、、、
カノジョが切り出した。

「俺はいいけど、、おまえさんの亭主に悪いじゃん、、」
「……。」

そして、遠距離のころ、いつも私が見送られていた、
その逆に、私がカノジョを見送った電車、、。

この、「見送り」の後の、
「どうにもならない切ない気持ち」を、
かつて私がカノジョから訴えられて、
そのとき、
ホンの僅かだが、やっと理解できた。


、、、つづく。