どうせ愛されないの考え方
「ああ、昔、俺は強烈を通り越した、
- どうせ嫌われる
- どうせ嫌われてる
- どうせ好かれていない
- どうせ好かれる訳が無い
という思考プログラムだったなぁ。」
と僕が思い返す事についてです。
あなたや、知り合いの誰かが、この様な思考プログラムではありませんか?
この様な人間関係に対する、その人特有の思考プログラムは、恋愛など特定の人間関係良くだけでは無く、全ての人間関係において、おおよそ共通します。
勿論、自分が自分を想う気持ち、つまり自己評価も含みます。
こういう場合、基本、自分で自分を、次の様に思い、評価をしています。
- 嫌い
- 好きでない
- 認めていない
- 醜い
- おぞましい
- 消し去りたい
- 消えて無くなりたい
- 孤独だ
- 孤立している
- 疎外されている
他には、「他人は敵」という思考回路もあります。
だから、他人の感情と目線、酷い場合は他人の存在さえもシャットアウトしたり、跳ね返したり、身構えたりします。
他人が自分に対して好意的だろうが無かろうが、他人の感情や振る舞いの全て、一つ一つに対して、上に書いた様な反応を、意識的、無意識的にしてしまいます。
特に、心身の調子が悪い時は、より一層。
そんなもんだから、いつも
- 警戒する
- 怯える
- 癇に障る
- 敵対する
という癖が付いて繰り返します🔄
癖が付いて繰り返しているので、自分の本当の気持ちが、解らなくなっています。
繰り返しが過激過敏、日常茶飯事なので、ある時に貯まりに溜まりにたまった想いが
🌋ドバーッ❗❕❗❕❗❕💥
と、噴火してしまう事も繰り返します。
恋愛感情・喜怒哀楽など、感情の種類に厭目はつけません。
止まらないマンシンガントークや怒り、超場違いなハイテンション等々……
自分に向けられていようがいまいが、他人のポジティブ・ネガティブ感情を、(時には勝手に決めつけて妄想して)
- 身構える
- 跳ね返す
- 嫌悪感を抱く
だから、自分も他人も解らないし、場違いな反応をしてしまう。
酷くなると、例えば、境界性パーソナリティーの、『見捨てられ感』・『止まらない超爆発エスカレート型怒鳴り散らし』の症状。
他には対人恐怖症……等々
精神的な病に発展します。
疾患一線を越えなくても、自分自身との関係・他人との関係の両方共に上手くいかず、逃げ去る様に退職していった人がいました。
他人や自分の
- 育て方・育てられ方
- 教育の仕方・され方
- 身を置かせる・置かされる・置く環境
等々、自分が他人にする事、他人から自分が受ける事は、人ひとりの精神心理性の形成にとても重要です。
かと言って、生まれてからの環境のみによって、他人も自分も、決まると、諦めるのではなく、自分で自分を変える意思と手段を磨いたり、探せます。
世の中には、専門家や、専門的書などの「他人が産み出した素晴らしい宝」、つまり他力が沢山あります。
自力で孤独と思い込んでいても、自力で主体的に自己改善の手段を探し始めた途端、他力を頼っている事になります。
手段を探す道具、手段という情報。
これらは、他人が作ったモノ。
僕は、複数の精神疾患を、医療と薬剤無しで、孤独に、独力で、改善していっていると、途中まで思っていました。
でも、気付いたんです。
- 俺が調べる本·サイト
- 俺を指導する人
- 俺が選んだ心理スキル
「これら全部、俺以外の力だなぁ」
ってね。
誰かを良くする為に作られたモノ、動いている人。
という視点から、自分は嫌われるという考えにメスを入れてみてはどうだろうか?
そして、人間関係をやり直すプロセスによって、低過ぎる自己評価を上げていく。
七転八倒しながら上げていく事になる事は勿論。
逆に、他人と拘りながら七転八倒を続け無いと、自己評価の底上げと地盤固め、そして人間関係力はできていきません。
何度、怖い、腹立たしい、悲しい、孤独な思いと体験を繰り返しても、自己改善と人間関係の改善を続けていくしかありません。
僕の経験からも、クライアントさんの経験からも、この方法だけでした。
どんなに心理スキルを使っても、先に自己評価が大きく覆って、対人関係が改善するというものではありません。
スキルは大きな助けになります。
しかし、現実世界で、自分が思考と行動を積み重ねるプロセスが、精神心理性を作り変え続けます。