ボクは5歳の夏、

父の転勤で長崎から名古屋へと引っ越した。



その時期は7月。



幼稚園の年中クラスも半ばを過ぎた、
どこか中途半端なタイミングだった。



名古屋の幼稚園に通い始めたボクは、
不安でいっぱいだった。



長崎での幼稚園生活でも、
いつも緊張した面持ちで登園していたボク。

人見知りで、
自分から友達を作るのが苦手だった。



新しい環境に馴染めるのか、
幼いボクにはそれが最大の心配事だった。







だが、子どもの世界は不思議なものだ。

心配していたボクの不安を、
同年代の子どもたちは

あっという間に吹き飛ばしてくれた。



彼らは大人のように壁を作らない。

他人を受け入れることにためらいがないのだ。



気付けばボクにも友達ができていた。

その中でも特別な存在がいた。



彼の名前はタイちゃん。



ボクと同じ社宅アパートに住んでいて、
しかも同じ棟の1階に住んでいた。



名古屋の緑区での住居は、
父の会社の社宅アパートだった。

そこも、長崎での社宅アパートと同様に

かなりファミリー層が多く、
同年代の友達がたくさん住んでいた。

社宅アパートの規模は、

長崎の10倍はあっただろう。
 

1棟あたり32戸としても、

それが10棟ほどあった。

1戸4人住んでいたとしたら、
1,280人になるので、
1,000人ほどの大規模な団地だったということだ。



このような大規模な団地で、
同じ棟の3階に住むボクと、
1階に住むタイちゃん。

素晴らしい縁だった。



彼は運動神経抜群で、
賢くて優しい彼は、
みんなから好かれる人気者だった。

そして、

ボクにとっては

初めての“親友”でもあった。



タイちゃんはボクに、
たくさんの遊びを教えてくれた。



その中でも、
折り紙で作る紙飛行機は格別だった。

彼の教えで作った紙飛行機は、
のちに小学校で開かれた紙飛行機飛ばし大会で
ボクを優勝へと導いてくれた。



あの時の嬉しさと、
タイちゃんへの感謝の気持ちは、
今でも忘れられない。



タイちゃんと過ごす日々のおかげで、
幼稚園は楽しくて仕方がなかった。







不安で緊張していたボクが、
笑顔で登園するようになった姿を、
母は嬉しそうに語ってくれた。



名古屋に来たばかりの頃、
母から見たボクは

「新しい環境に馴染めるだろうか」

と縮こまっていたようだった。



しかし、

タイちゃんとの出会いがボクを変えてくれた。

彼との時間が、
ボクの中に勇気と自信を育ててくれたのだ。







振り返れば、
ボクたちの人生は、
変化に向き合っているのかもしれない。



不安と期待を抱えた新しい環境。
そこに必要なのは、
壁を作らず受け入れてくれる存在だ。



そして、時にはボクたち自身が、
その「タイちゃん」になれるのではないか。







名古屋の幼稚園での思い出は、
ボクに一つの教訓をくれた。



どんな環境でも、
心を開きさえすれば新しい扉は開かれる。



そしてその扉の向こうには、
きっとかけがえのない誰かが待っている。