名古屋で通った幼稚園は、
カトリック系の園だった。



朝、帰り、食事の前後。

どんなときにも、マリア様やイエス様にお祈りをする習慣があった。



仏教の家で育ったボクには初めての文化で、
最初は戸惑いもあったけれど、
不思議とその静かな時間が心地よく感じられた。



その幼稚園は、
どこか穏やかで大人しい雰囲気だった。

ボクのようにおとなしい性格の子どもには、
ぴったりの環境だった。



そして、先生の中には、
シスターと呼ばれる人がいた。

黒いヴェールをまといながら、
いつも優しく接してくれた。



中でもあるシスターは、
ボクにとって特別な存在だった。







ある日、
園庭の遊具に目が留まった。

ウンテイだ。



高いところが苦手なボクにとって、
それは小さな壁のように見えた。



でもその日、
なぜか挑戦したくなった。







恐る恐る手を伸ばし、
棒を掴む。



次の棒へ進む。



心臓がバクバクしていたが、
一歩ずつ、
少しずつ前に進み、
とうとう最後まで渡りきった。







その瞬間、
園庭を歩いていたシスターが拍手をしてくれた。

「すごいわね!頑張ったのねぇ」

と優しい声で褒めてくれた。



ボクは驚きと嬉しさで、
胸がいっぱいになった。



誰かに見てもらえること、
認めてもらえることが
こんなにも嬉しいものだと初めて知った。



ボクは、両親にほとんど褒められた経験がなかったからだ。







翌日、ボクは再びウンテイに挑んだ。



誰にも言わず、
一人で何往復も。



夢中になって何度も渡り続けた。



すると、
室内にいたシスターがボクに気付いて、
また出てきてくれた。



そして笑顔で、

「頑張っているのね」

と言いながら私の手を取った。



その時、
シスターの表情がふっと変わった。

「あら、手にマメができているわね」

と言い、優しく治療をしてくれた。



ボクはその時まで、
手のマメが潰れていることにも気付いていなかった。

それくらい集中していたのだ。



でも、
不思議と泣き虫だったボクが泣くことはなかった。



手の痛みよりも、
達成感と褒められた嬉しさが、
それを上回っていたからだ。







振り返ると、
あのシスターの存在は、
幼いボクにとって


「見守る人」
 

の象徴だったのだと思う。



誰かが自分を見てくれている、
その優しい眼差しがどれほど力になるか。



たとえ一人で頑張っているように見えても、
本当は誰かがそっと見守ってくれている。



それだけで、人は前に進む勇気を持てる。