父は、三菱重工に勤めており、長崎の造船所で働いていた。

父が油で汚れた作業着で帰宅するたびに、家の中の空気が少しだけ変わった。

鉄と汗の混ざった匂いが玄関から漂い、大きな足音がリビングまで響く。

私はその大きな足音を聞いて、父が帰ってきたことを知る。

父が座ると、プロ野球中継の音が部屋中に広がる。

子どもたちが観たい番組があっても、そんなことを口にする勇気はなかった。

典型的な九州男児の父は、一家の長として家族を支えつつも、どこか威圧的だった。

父は長崎県の島原で、10人兄弟の末っ子として生まれ、幼い頃に母(ボクの祖母)を亡くした。

その後、父の両親は再婚し、血の繋がらない母に育てられた。

兄弟が多くて家計に余裕がなかったため、大学には進学できなかったものの、叔父たちは「お前の父さんは頭が良かったとよ」と口を揃えて言った。

実際、数学や物理の計算では、浪人していた私ですら父に敵わなかった。

ボクは模擬試験で名古屋大学や大阪大学を志望してA判定を取っていたので、勉強はかなりできる方だったと思っていた。
※この表現をする時点で、まだボクに学歴コンプレックスが残っているのかもしれないが

そんなボクでも、数学や物理では父に全くかなわなかったことで、父の凄さを知った。

それでも幼少期のボクは、そんな父の凄さは知らず、ただ怖い存在と感じることが多かった。

とりわけお風呂の時間は忘れられない。

父が頭を洗ってくれるとき、その指の力は容赦なく、

「痛い!」

と叫ぶボクに

「じっとしとけ」

と低い声で言う父。

愛情がこもっていたかどうかなんて、当時のボクには分からなかった。

少しでも怒らせると、こぶしを振り上げて鬼の形相で威圧される。

威圧だけでなく、叩かれることも普通だ。

今の時代であれば問題になるかもだが、ボクが子どもの頃はどこの家庭でもよくある光景だった。
同年代の友人たちに聞いても、親に叩かれることは普通のことだった。

父は豪快で、ときに不器用な人だった。

家庭で子どもと遊ぶタイプではなく、ボクが5歳くらいまでは父との記憶は薄い。

ただ、今こうして振り返ると、油で汚れた作業着や、強い指の感触が、父の不器用な愛情だったのかもしれないと思う。

それが怖さから尊敬へと変わるきっかけになったのは、私がもう少し成長してからのことだ。