1981年、昭和56年の春。
日が暮れる頃、長崎の平屋建ての家に産声が響いた。

ここは病院ではなく、母の実家だ。
祖母と産婆さん(今でいう助産師)のサポートで、母はボクを産んだという。

「あんたの頭が大きすぎて、ほんと時間かかったわ!頭が太すぎて全然出てこんけん痛かった~」
母はいつもそう笑いながら話してくれた。

母はボクが小学校高学年になる頃までは専業主婦だった。家計簿代わりの大学ノートに小さな字で計算を書き込み、「お金がない」が口ぐせだった。

母は不器用な人で、料理は得意ではない。
でも、そんな料理が苦手な母が作る玉子焼きが今でも好きだ。
砂糖がタップリ入ったかなり甘めの卵焼きだ。

父は、九州男児そのもの。
威圧感がすごくて、一緒の空間にいるだけで息が詰まる。
大人になるまで父のことがずっと苦手だった。

妹は2つ下。
小さな体でボクを守るのが日常だった。

友達に泣かされたボクをかばって相手に立ち向かっていく姿が、いまでも忘れられない。

「お兄ちゃんをイジメないで!」

こうやって妹はいつもボクのことを守ってくれていたと、父も母にもよく聞かされた。
そしてボクのことは、泣き虫で情けないと。

これを言われるたびに、ボクは情けなさで胸がいっぱいになっていた。

そこまで深い意味はなく、イジるつもりで親は言っていたのだろうけど、繊細なボクには親の冗談が冗談に聞こえなかった。