松力の湯 今月から銭湯の入浴料金改定と全面禁煙 が施行された。原油の高騰は仕方ない。しかし禁煙はどうか。有無を言わさず全否定された気分だ。

松力の湯 等々力5-20-19

シャワーも湯船も熱く、以前はそれが苦手だったが、今となってはそれもまた一興である。富士山の背景画を臨みながら、まずは足、次に腰まで、胸、肩と徐々に、ロハスとかスローライフとかそんな類で浸かる。発汗を促した。隣で老人は終始タオルを顔下半分にあてていた。浴槽から上がってすぐさま髭を剃る。蒸らしていた。次は真似しよう。

コーヒー牛乳を買ってイスに腰掛ける。テーブルにはアレが置いてあった。番頭にゼスチャーをしながら「いいですか」と訪ねると、笑いながら承諾してくれた。ソレを持って縁側に出て、外に向かって息を吐く。入浴後のコーヒー牛乳とコレはやはり欠かせない。証拠はしっかり隠滅した。

旅に出る前は常に「地球の歩き方」を買っていた。海外で同じような日本人バックパッカーに出会うと、その7割方が同じ黄色い本を手に持ち、どうも恥ずかしくなってやめる。「Lonely Planet」に切り替えた。しかし途中でこれはヨーロッパ人旅行者の8割方が持っていることに気づく。ガイドブックの代わりに旅行記を携帯してみるのも手だ。

スペインは学生の頃、マドリッドから南下し、グラナダなどアンダルシア地方を、そこから海沿いにバルセロナへ向かった。生ハムサンドは経験した旅での忘れらない味の一つである。ワインもよく飲んだ。バルには毎日行った。そしてフランスに。バスクなど北部は足を踏み入れず、サンティアゴ巡礼路は存在すら知らなかった。そこでの出会いがあり、苦楽を共にすることの素晴らしきかな。人生を謳歌するスパニッシュだからこそ、過酷な巡礼が発達して栄えたように思う。

安田 知子
ぶらりあるき サンティアゴ巡礼の道

バッシング 記憶に新しいイラク日本人人質事件をモチーフというかインスパイアというか、決して社会性のある作品を撮らなかった小林政広監督がそれを題材にした。前作「フリック」と同様に北海道を舞台にして、彼に見えるそこは荒涼とした大地、殺伐とした空気がまん延する。

高井有子はボランティアで戦時国に出向き、そこで拉致監禁されたが、無事帰国した。悪質な電話は毎日鳴る。世間の目は冷たいが、最も怖い顔をしているのは彼女だった。誹謗中傷は止むことがなく、彼女の家族にまで被害は及ぶ。しかし映画は、あくまでニュートラルな立場で描かれていたと思う。高井有子というキャラクターを美化しない。

ベッドで壁に向かい、頭を抱え込んで丸まる。マンションの階段を昇降する時、進む先を何か恐怖が待ち受けているような目で見据える。取り憑かれたようにおでんを食べる。そんな彼女の姿を執拗に映し、画面から緊張感が途切れることはなかった。

果たして税金は、一人当たりどれだけの額が使われたのだろうか。僕にはそのパーセンテージが分からないが、それで目くじらを立てる人間は小さい。小さすぎる。有子にしろ、実際に向こうで人質にされた方にしろ、望んでそうなったわけではなく、結果論だ。覚悟が足りないだなんて言えない。僕にもボランティアの経験がある。有子の言うところの「初めて人の役に立てた」喜びは、僕も知っている。当時のことを今にして思うと、人のためということより、自分のためにとった行動とも考えられる。充足感はえも言われない。そして自分が必要にされていると思った以上に、ボランティアされた人は自分を必要としていないとも、思い返す。

非難する人間たちは事象を側面でしか捉えていなかった。それは独善的な有子も同じ。向き合っていないのであれば、双方は歩み寄れない。四面楚歌の中、彼女は上を向いていたのか。それとも下を向いていたのか。答えはまだ出ていない。というよりも答えはない。

社会人を経てプロに入った背番号16同士の対決は佐藤の圧勝に終わった。4回裏アレックスと対峙して久保はマウンドで、たしかに笑った。対戦相手に面と向かって口元を緩ませるとは、僕の罵声が飛ぶ。あれが敗因だと結果論も飛び出す。

打ちも打ったり、しかも効率良く、18安打16得点で猛打賞は4人。ボーナスゲームだ。安打も打点も荒稼ぎで、井端に至っては5の5と手がつけられず打率は跳ね上がった。これで明日もロッテ戦なら痛いしっぺ返しを食らいそうだが、3連戦の最後で助かった。交流戦後半、全カード勝ち越しもいけるのではないだろうか。

おそらく、初めて演技が下手だと思った役者は、小学生の頃に見た「たんぽぽ」での加藤賢崇である。こんな舌足らずでもいいのかと、今にして思えばそれが味であり、稀なキャラクターであり、現になおこうやって記憶に刻み込まれているのではあるが。もちろん当時は彼の名前も知らず、それからいくらか大人になって、何かのCMを見た時、ナレーションが彼だとすぐ分かった。ほんの端役だったにもかかわらず、特徴的な声はそれほどまでに残っていた。そんな加藤賢崇と「タンポポ」の監督・伊丹十三が出演し、同年に作られた本作は、黒沢清監督の初期作品。片鱗がうかがえた。洞口依子のデビュー作でもあるらしく、物憂いな唇がそそる。

先輩を慕って上京し、彼の通う大学に行った秋子は、そこでカルチャーショックに遭う。出会う学生は性に開放的で、その彼・吉岡もまた変わり果てていた。失意の中、吉岡が所属していたゼミの教授・平山と接し、彼が展開する"極限的恥ずかし変異"の実験をおこなうことになった。

ヌーベル・バーグを継承しようとしているかのような装いだった。哲学的なセリフも多く、しかし人間の性を笑うコメディタッチが退屈させない。デリカシーのない厚顔無恥な学生は、今も昔も少なくない。

どれがどれだ鴨 昨年と比べて 鴨の成長は早く、親子の区別がつかない。今日もこの家族の周りに人が群れた。「やあ、大きくなりましたね」と中年男性に話しかけて、互いに顔がほころぶ。「どれが親鴨か分かりませんな」と言うと、隣の中年女性、僕が声をかけた男性と夫婦だろうか、彼女が教えてくれた。「足を御覧なさい。1匹だけ赤いでしょう。あれが親です」。なるほど年季は足に出る。子どもたちはまだ赤みが薄い。皆、頭は悪く、行く手を阻む低い格子を越える術は知らなかった。近くには「鴨横断注意」と書かれた看板がある。

診察台に座るや否や「痛みは全くございませんでした」と僕は言った。神経を削られたくない 一心で。どうやら免れたようだ。そうすると気分的にも余裕ができる。ここの歯科助手は美人揃いだと気づいた。

麻酔が効くまでの間、退屈だろうと雑誌を持ってきた彼女は、たしか先週、僕にカメラを向けた女性だ。その時も良くしてもらい、もしや好意を持っているのではないかとすぐ勘違いする。太い眉毛のその尻は上がって力強く、大きな目で微笑みかける。最新器具をきょろきょろ見たりあれこれ触ったりしていると、近づいてきて説明してくれた。

僕に仮詰めを施した彼女は、どこか勝ち組然としていて、おそらく恋愛などでは苦労していないだろうと、そんな顔立ちをしていた。切れ長の目に迷いが見えず、産毛が確認できるほどに顔を近づけて、その目に写る、口を最大限に開けて歪んだ自分の顔を覗く。

治療が楽しくなってきた。ガムは禁じられたがしかし。

花よりもなほ 是枝裕和が時代劇を撮ってしかもそれがエンターテイメント作品だなんて、思いもよらなかった。浅野忠信、遠藤憲一、寺島進、夏川結衣、平泉成など是枝組おなじみのメンバーが脇を固める。加えて古田新太、千原靖史、上島竜兵、中村嘉葎雄など各界から役者を揃え、群像劇を成す。どこを切っても男前の岡田准一と、日本で最も艶やかにたすきをかけるのではないかと思わせる宮沢りえが、群像の中心となって元禄の江戸、四季折々の日が描かれる。

父親の仇を討つために信州は松本から江戸へやってきた侍の青木宗左衛門は弱かった。ぼろい長屋に住みながら、仇の金沢十兵衛を探しているが、決闘をしたところで果たして勝てるかどうか。負けるにせよ花のように散れればまだしも、同じ長屋の住民・そで吉に言わせれば「散らばる」という無残な最期を遂げる可能性も否定できない。天下泰平の世で、侍の意義と弱さの肯定を説く。

貧して弱い、長屋の住民は皆、欠点だらけだった。しかし暖かい。長屋のごとく肩寄せ合って生きている。端には共同の厠があり、そこの排泄物は百姓に買われて肥やしとなり、それが正月の餅に変わる。端的に、孫三郎に言わせると「糞が餅になる」。親の遺言を守ろうと、しかし命のやり取りに恐怖を覚える宗左衛門は、人々に触れ、また後家のおさえの心を知り、仇を他のものに変換させた。

何が勝ちかなど関係ない。価値観だって人それぞれ。生きる道、生きる術を見出すこと。それと笑うことが大切だ。

英文和訳風にいうと「あれは小笠原ですか?」「いいえ、あれはあなたの知っている小笠原ではありません」となる快投を先週見せて、今日も試合をきっちり作りローテーションをものにする。中田が戻ってきても危ないのは彼ではなく、マルチネスか山本昌だろう。5回2失点が関の山で、月に1度は炎上する小笠原は今のところいない。

76ers。僕と同じ世代は他に英智がいる。バッティングが開花して、荒木の代役としてのトップバッターも及第点だろう。マルチヒットにダメ押しタイムリーで仕事をこなした。学年にまで層を広げれば小田もまたタメ年、2番手捕手の座をがっちり掴んだ。

選手名鑑を開いてみた。樋口もそうだったと知る。今年2年目だが気長に待てないお年頃。なるほど僕も若くない。

ブンレツグランマが久兵衛 の話をしなくなったと思ったら、今度は彼女の母と旦那、故ブンレツグレイトグランマと故ブンレツグランパができたといって、心中穏やかでない様子だった。登場人物が死人ばかりで厄介だ。

僕はずっとグランマとグランパはおしどり夫婦だと思っていたのだが、晩年はそうでなかったようだ。グランマがセックスを拒むようになってから不仲になったらしい。一体いつまで性的な関係があったのか、というか性的な欲求はいつまであるものなのか。個人差があるにせよ、故グランパのそれはなかなかのものだったということが推し測れる。性交渉を望まなくてもグランマはグランマで口から出るのは色恋沙汰ばかり。ブンレツさんにしてみると、自分の祖母と義父の不倫なんて気色悪いらしく、それも当然だが、ひどくうんざりしていた。