先日ブンレツグランマの誕生日でそれを盛大に祝ってやろうと、明日は皆で寿司を食べに行くという話だったのだが、今日になってグランマが風邪をこじらせた。予約のキャンセルができず、本人抜きでご馳走を食べることになりそうだ。イベントがある時には決まって問題を起こす。ホームの対応も遅かった。何かとブンレツさんの気を立たせる。左団扇の業界ながら、人手不足と発展途上段階は否めない。とりあえず、グランマの分まで平らげる所存。
最低男達 僕の中学と高校時代の友人がいて、彼の大学時代の友人がいて、3人で飲んだ。友人の友人とは今まで2回だけ会ったことがあり、それは両方とも互いの友人である男の結婚式だった。そんな縁で酌み交わす。博多のもつ鍋は美味だった。僕以外は医者。真ん中に位置する男以外は独身。昔は豪遊していたようで、家庭を持って落ち着いたそうだが、もう一人は未だ衰えを知らず、卑猥な言葉が口を出る。

ビックリマンチョコ ビックリマン プロ野球選手チョコ発売


幼少時代の記憶を甦らせるあの絵柄で、好きなプロ野球選手が描かれているなんて。昨日今日とビックリマンチョコを3個ずつ買った。食べてしまった。大人買いだってできなくはない。しかし買ったが最後、シールが気になってすぐさま封を開けるだろう。小さい頃は30円だったのが今では80円もする。駄菓子に金をかけているようでは何かとだめだ。使い道を間違っているし、太るし、ウエハースをこぼして粉まみれになるし。

6つの時点でソフトバンク・斉藤和巳が被った。途端に嫌いになる。各チームで2名ずつ、計24選手をコンプリートしようとすれば、対ウエハースチョコ後半戦になるにつれて、ダブりの確率は上がるばかりで、喜びよりも怒りを覚えることは想像に難くない。

中日からは岩瀬と福留がシール化し、とりあえずはこの2名を揃えることが目標だ。まず岩瀬を引き当てたが、あまり似ていない。もしシリーズとなって第2弾があるならば、中日からはおそらく川上と井端がシールになるだろう。そういう予想も楽しい。いくらつぎ込むことになるのかなどは頭をよぎってもかき消す。

携帯電話の電波が害を及ぼし得ない程度の距離感が保てる混み具合の電車で、僕の目の前に立つ、シャツの裾を入れてボタンを上まで留めた男は、漫画雑誌を読んでいた。そこに描かれている女性は開脚前転の足が地に着く一歩手前の格好(俗にいうマングリガエシ、以下MG)をして、MGをさせている男性は吹き出しのセリフまでは読み取れないが何やら不敵な面構えでそれを眺め、要するに濡れ場で、そのシャツは臆することなくそれを見ている。しかも半笑いである。それが地顔なのか、それとも楽しんでいるのか、定かではないが僕には肝が据わっているように受け取れた。

シャツがくしゃみをした。雑誌で顔を覆いながら。MGに水滴がつく。MGをさせた男もまるで汗をかいたかのようだった。コラボレーションたるや。

靴下の勝ち 映画に行く予定だったのが急用が入って一旦は断念する。しかしその用事が早く終わりそうで、そう感じた時に雨もあがり、では行こうではないかと。その日にしか上映していないことだし、逃せばスクリーンで見る機会はないし。しかし、いざ向かう頃になるとまた雨が降り出して、一度乾いた靴下はまた湿り気を帯びた。それならば潔く諦めようではないかと。疲れたし、足元は気持ち悪いし。僕の映画熱など所詮そんなものだ。靴下に及ばない。
定期的に腰が悪くなる。現在、始動がきつい。立ち上がってしばらくはかがんだ状態で歩く。またこれだ。背骨がまっすぐになるのはある程度の時間が経ってから。例えば食事を終えて席を立つと、角度は約135度のままがに股で進まなければならない。10歩もすれば軽く会釈しているような体勢まで持ち上げられる。そこから180度になるまではさらに20~30歩かかる。ダーウィンでも読んでみようかと思う。進化を実践しているだけに。

チャールズ ダーウィン
種の起原〈上〉

部屋着用で半ズボンとTシャツを一式、YoYo の家に置いていくため持っていく。半ズボン、今風にいうとハーフパンツはオーバーサイズ、日本語でいうと身の丈に合っておらず、楽に着られる。Tシャツはもう何度洗濯したか数えきれない、首回りはよれよれでタウンユースという一線級を退いた代物である。上下に共通しているのは着心地が良いこと。

しかしこれでYoYoは自宅に僕を招いた時、常に同じ格好の僕を見ることになる。みすぼらしくダサい僕を。いくばくかの心苦しさを感じつつも、そのリカバリーは他のことで努めよう。という構えも果たして次回訪れるまで持ち続けているかどうか。第一、どんな項目ならリカバーできるというのだ。

バスの中 中央道が30キロの渋滞で予定到着時刻より2時間遅れるという。京王バスの案内アナウンスは「JRの電車を使うことをおすすめします」と言っていた。払い戻しも受け付けるとのことだったが、あずさ2号はバスに比べるとかなり割高で、金を惜しんだ僕はきびすを返すことなくバスに乗り込んだ。

本とポータブルCDプレイヤーを持参した。さらに売店にて、個人的ひいきである伊藤園の緑茶500ミリリットル、長旅のお伴にという冠と郷愁を想起させるヨーグレットを買って、長旅に備える。これで予定の3時間プラス2時間の計5時間持つだろうかと、高速バスは初めてで勝手と必需品が分からない。しかしだからこそ刺激的というもの。

出発してもしばらくは本を開かず、音楽も聞かず、気持ちがはやる。先のアナウンスのおかげかバスは空いていて皆、並んだ二つの席に一人ずつ座る中、僕の後ろは大学生ほどの眼鏡をかけた男子が二人、談笑が止まらない。野球の話が9割を占めるが、互いに持ち得る知識や情報をひけらかすばかりで、どうもかみ合っていない。しかも喋り方がどこか芝居がかっていて滑らかでなく、僕は耳障りに感じて読書と音楽鑑賞に興じた。

すると、がら空きの嗅覚が敏感になる。この、鼻を刺すような刺激臭はワキガと断定して間違いない。どっちの眼鏡にしろ彼に悪気はない。しかし突きとめたく、振り向いてイス越しに「倒していいかい」と聞くついでに発信源を探す。黒縁のほうだった。この時、あと4時間半耐えられるかどうかと、不安ばかり募っていた。

猫と庄造と二人のをんな 豊田四郎監督作に森繁久彌は多く出演しているようで、先に続いて本作もダメ男を好演した。猫に異常な愛情を注ぐ庄造は、母と先妻と後妻に振り回される。3人の女を見て、彼はますます猫が好きになるのであった。

母のおりんはしたたかに、息子である庄造の嫁に子種がないことを知ると、家を出るように仕向けた。さらに裕福な兄の娘を息子がめとるよう画策する。如才なく、おりん役・浪花千栄子のコミカルかつ無駄のない動きが冴え渡った。物語は先妻の品子が家出するところから始まる。庄造に未練はないが、猫を偏愛する彼とおりんの腹積もりに一泡吹かせたく、出戻りに執念を燃やす。品子役・山田五十鈴のひん曲がった口はいかにも性根が悪そうで、同情の余地があるのに同情させないその腕前の凄まじさ。庄造が福子に乗り換えることを躊躇しなかったのは、彼女の奔放さがまるで猫のようだったからだろうか。金に不自由せず、家出も経験し、手のつけられない不良娘が品子と張り合う理由は、庄造への愛よりも女の意地だった。福子役・香川京子にとってはすっぱでおてんばな女は新境地だったと思われるが、バタくさい顔と肉づきの良い太ももはその役どころを余すところなく、個人的に好みの顔でもあってたまらない。

代々続いた問屋の長男だが、芸者にうつつを抜かして勘当された柳吉に森繁久彌、その芸者・蝶子に淡島千景、二人のによる関西弁の小気味良い掛け合いが全編に。若い頃の森繁を初めて見たが、爺の今よりも(まだ生きているのか知らん)見てくれは悪く、さらに甲斐性なしの役どころにもかかわらず、愛嬌があって魅力的だった。淡島もまた決して美人ではないが、健気に男を支える姿がはまる。

大阪は新地を大掛かりなセットを、引きの画で見せる。人の往来は激しく、活気があり、人情劇を際立たせた。何度も同じシーンを使うことで街並が把握でき、自分もそこの市井の人のように思えた。

蝶子と駆け落ちするが柳吉は実家に未練があり、いつかは戻りたいと思っている。蝶子は柳吉の実家に認めてもらいたいとの思いがある。遂げられることはなかったが、それでも二人は紆余曲折を経て一緒に暮らした。丁々発止はリズミカル。いつしか柳吉は蝶子のことを「おばはん」と呼ぶようになり、最初こそかんしゃくを起こしたが、それも受け入れるようになり、うだつの上がらない柳吉の「頼りにしてまっせ」との言葉も蝶子にとっては生きがいになっているようにも受け取れる。憎めない男は、頼りにしている女に暴力を振るわれても決して自らは手を出さない。二人の未来は明るかった。