2ヶ月バトンをやっていなかったのは溜めこんでいたということもある。「HAPPY SMILE! COMFORTABLE LIFE♪ 」のsugarさんから、割とさっくり答えられるものをいただいた。

1.夜する事と言えば?
夢見がちな妄想、淫らな行為、金縛りを経ての睡眠。

2.夜行性?
朝型への切り替えが潤滑でなく、不規則な生活がなおも続く。

3.自分は夜が好き?
好き嫌いで考えたことはない。しかし入浴後、歯を磨いてあとは寝るだけという状況が最も幸せな時間のように思う。

4.夜してみたいこと
一心不乱にジャンベを叩きたい。

5.夜が怖い?
小さい頃は睡眠に対する恐怖感があったが、それも克服した。霊に対しても触らせてやっているという主導権を握っているかの如く、能動的に接している。

6.暗くなると吠えたくなる?
全然。

7.ひとりの夜は淋しい?
毎度のことなのでそういう感情は皆無である。バトンは女性視点が多いような気がしてならない。

8.夜遊びは大好きだ!
嫌いではないが得意でもない。翌日のことを頭の片隅に入れるようになったのは、大人になった表れなのか。それとも保守派に成り下がった証なのか。

9.夜は一日の始まり?終わり?
強いていえば終わり。

10.だいたい何時ぐらいに寝る?
12時半から3時の間。

11.寝る前に必ずすること
ストーブの電源の確認。小便。ブンレツさんにおやすみの挨拶。

12.寝る前に必ず考えること
ブログが進まなかった後悔の念。

13.ベット?布団?
簡易ベッドの上に布団を敷いて、この場合はどっちになるのだろう。畳の上に布団というトラディショナルに憧れはある。

14.寝る時の格好は?
Tシャツにパンツ。薄着が身上だが裸では寝られない。

15.いつもどんな夢をみる?
落下する夢が多い。

16.金縛りになったことがある
週5。


17.一晩中一人でずっと起きていて朝になったことがある
ある。映画を見ていたり、ネットサーフィンをしていたり。

18.一晩中異性とずっと起きていて朝になったことがある
ない。寝る。

19.このバトンを回す人
いない。

ククとジュレと、複数のリズムを覚えて初級教室も終わりを迎えた。速いテンポで叩き、音を合わせることによって得られるトランス状態も入りやすくなってきた。しかしまだまだ教わり足りない。リズムキープはままならず、指は痛く、ジャンベ自体もまだ皮が張り詰めておらず調節が必要だ。それらを師事している山崎剛司氏から吸収するために次回もまた初級教室に通おうか、もしくはレベルアップを目指して中級教室に進むか。貪欲になれたのも久しぶりだ。

スキャナー・ダークリー何にでも意義を求めようとするのは良くないと思っていながらも、つい理屈をこねたくなり、大した知識も価値観も持っていないのですぐ袋小路に入る。ギャランティーが半端ではない俳優を起用して実写で撮影し、それをわざわざ膨大な時間と手間をかけてロストコープすることにどんな効果が表れるのかと。ジャンキーな登場人物とドラッギーな世界を描くためだけにこの手法を起用したのではあるまい。

麻薬にまみれた近未来のアメリカで、覆面捜査官のボブは元締めを突きとめるために自らジャンキーを装い、どっぷりとはまった人間たちに潜入した。しかしミイラ取りがミイラになり、大きな渦に巻き込まれていく。主人公のボブをキアヌ・リーヴス、ボブの恋人で謎の多い美女ドナをウィノナ・ライダー、中毒症状はそれぞれ演じ方が違い、その中で最も光っていたのはボブが危険視していたバリス役のロバート・ダウニーJr.だったと思われる。経験がそのまま反映されたような、アニメーションで上塗りされているのならやり過ぎぐらいが具合良い。彼のためのロストスコープだったのか。

エンドクレジットでは原作者フィリップ・K・ディックの、中毒仲間に捧げる形でその彼らの名前と末路が記された。リチャード・リンクレイター監督といえば「スクール・オブ・ロック」のエンドクレジットが忘れられない。

山椒大夫しょうき髭を蓄え、恰幅の良い山椒大夫は荘園をつかさどり、たくさんの賤民を使って富を得ていた。またそれを国守に納める。荘園からの脱走を試みた非人は山椒大夫により焼きごてで烙印を押される。苦痛と消えぬ傷を伴い見せしめにもなった。下賤には5色あり、その単語は官有と民有で分けられたという。官すらも奴隷を抱え、それによって潤った。彼らがのし上がる術はないに等しい。仮に脱走が成功したところで国守は助けてくれない。

平安末期、平正氏は農民の貧困に見かねて時の将軍に盾ついた。それにより左遷され、幼い息子の厨子王は父の教えを胸に母の玉木、妹の安寿、乳母の姥竹と共に母の実家へと旅に出る。しかしその道中で騙され、人買いの手により玉木は佐渡へ、兄妹は山椒大夫に売られた。無銭で働かされるまで身を落とした彼らにただ歳月だけが過ぎ、その間に玉木は腱を切られ、厨子王の心は荒び、安寿は母への思いを強くしていった。

シーンの反復が悲哀を際立たせた。人身売買の前、湖畔での野宿に備えて夜露を防ぐため兄妹が枝や草を集める。二人協力して作業する様子は楽しげだったが、山椒大夫に買われた後にも同じような作業をさせられる二人がいた。そして湖畔では「ずしおー、あんじゅー」と母の呼ぶ声がして、それは母が偲ぶ歌となって離れ離れになった時もまた聞こえた。川や池は溝口健二の作品に欠かせないらしい。家族の生き別れ、安寿の入水は引きの画で撮り、はかない美しさが得も言われない。

森鴎外が原作のこれは現代でも山本直樹がインスパイアされて漫画化している。そこでは忠実に姉と弟の設定で厨子王が寿司夫となり、読み返してみたが、どこがどう繋がっているのか全く分からなかった。

個人的タイムリーで興味深い雑誌が創刊された。単発で終わりそうな気配もあるが、季刊でいいので続けてほしい。表紙と、最もページを割いていたものがジャンベだった。他にもそそる民族楽器がしこたま掲載されている。全く知らなかったものでカホン、ただの直方体のようでいてその実、打楽器という代物で、一切の装飾がないところもそそる。ひょうたんを使用したシュケレやウォータードラムはそのフォルムが美しい。教則用のCDまでついてプロの音も聞ける。他の楽器にまで手を出したくなって困った。まずはジャンベをある程度の形にしないと。


パーカッション・マガジンパーカッション・マガジン

硫黄島からの手紙 年齢設定に大根混在などミスキャストもあったが、渡辺謙を筆頭に皆悲壮感をまとい、硫黄島での戦闘が始まってからは緊迫した空気が続く。彼ら兵士の死は主要人物ですらあっけなく、センチメンタルに浸らせない。戦争においては命がこうも軽いことをクリント・イーストウッドは表現した。

一兵卒の西郷が上官を巡り巡るロードームービーのようでもあった。最初にいた隊の隊長は自決を促し、伊藤中尉には首を切られそうになり、バロン西は負傷の後に自らを捨てるように副隊長を指示する。最後に栗林中将の下へたどり着いた。ここまで自決の多いこと。敵に殺されるなら自らが決めるという発想を潔しとする精神がまた悲しい。元来から上官の命令を絶対とし、思考回路が停止していることに加え、危機的状況がさらなる袋小路へと追い込んだ。

敵を知ることで日本兵たちは揺らいだ。鬼畜米兵と洗脳させられ、しかしアメリカ兵が所持していた手紙を読んで同じ人間であると実感し、そこで戦意を喪失する者もいた。彼らも家族に手紙を書いいる。等身大の人間として、憎むべき存在でなくても祖国のために殺し合わなければならない。祖国とはすなわち家族であり、ジレンマや不毛さが辛い。

僕にその血が半分流れている神津島では硫黄島を“いおうとう”と発音し、今は分からないが一世代前まではそこへ出稼ぎに行く人間が少なくなかった。年に数度帰ってくる喜びを語る親族の顔を思い出す。

再び 七里組。今回は1時間程度の拘束だった。カップルで街を歩くという設定もおいしい。腕を組むだけで胸が高鳴る。今日は素晴らしい日だなんて、さらには相手の女性の顔をあまり見れないだなんて、三十路にもなってその免疫力の低さが恥ずかしい。しかしそんな初々しい自分が嫌いではない。

エキストラとして地味な格好をするのが当然だが前回着たコート以外に無難な冬仕様のそれを持っておらず、5色のダウンで撮影に臨んだ。しかしスタッフとアウターを交換させられる始末。服で自己主張しようとするスタンスが間違っている。というか自己主張は皆無であってこそのエキストラなのだから、要は根本から向いていないということだ。

吉祥寺リベンジを試みて返り討ちに遭う。ルールーさん に教えていただいた店は満席で外にまで並んでおり、pancopaさん に教えていただいた店は見つけることができなかった。雨の中で友人と二人さまよい、ある程度の店に入って落ち着いたはいいがそこは禁煙だった。僕だけが顔をしかめる。

楽器を始めたことと髪型が彼と被った。映画と音楽の趣味が良く、料理もできて温和な彼がもし、見た目と性別が今と正反対になったら、おそらく理想の女性になり得るのではと変な考えをする。しかし逆の立場で、僕の見た目と性別が変わったとしても、おそらく彼はアタシのことを愛してくれない思う。

ククに続いてジュレというリズムを学ぶ。2拍子で覚えやすいが、途切れることがないので手がこんがらがった。叩いているうちにテンポが異常に早くなる。単純なものほど一度外れると戻りづらくなる。メトロノームが欲しい。

一気にブレイクまで覚えた。大人数が足並みそろえてピタリとはまること、またそれを指揮することの心地良さを知る。教材でもあるママディ・ケイタのアルバムでは、ジュレの歌詞が“チンポダイエット”に聞こえ、僕もそう歌いながらリズムを刻む。相変わらず手は痛い。音を貼ろうとして強く打つことは間違っていると分かっていてもやってしまう。何においても力任せでは好転しない。

父、帰るプロローグを除けば全編が兄弟とその父親による3人の旅路で、彼らの不協和音が画面からにじみ出ているような、重苦しい空気が漂う。アンドレイとイワンの兄弟は母と祖母と4人暮らしで、突然底へ父と名乗る男が帰ってきた。多くを語らない父はいきなり主として居座り、息子二人を旅に連れて行くという。父が帰ってきたこと、旅に行くことに戸惑いながらも始めは喜んでいた兄弟だったが、主の威圧的で不遜な態度に、弟のイワンが不快感を露にする。アンドレイは従順だった。3人のキャラクターや心情の変化が想像に難くないのは、焦点を彼らだけに当てているからだと思われる。

1週間に満たない旅の期間、天候はめまぐるしく変わった。陰鬱な曇天雨天と爽快な晴天とのコントラストが激しく、それは誰かの心象を表しているのかと予測したが、どうもそうでもない。誰かの末路に向けて不穏で安定しない様子が感情を揺さぶる。

父は自分を「パパと呼べ」と言うがイワンはそれに抵抗した。旅にも嫌気が指していたが、導かれるままに無人島へと向かった。武骨な姿勢を崩さず、命令に背くことを許さず、兄弟はおそらく自分たちが気づかない間に大人へとなっていく。疑念が晴れた時、思いに気づいた時、成長を遂げた。

アンドレイ・ズビャギンツェフの長編デビュー作はヴェネチア映画祭グランプリの名に恥じない完成度の高さと美しさ、加えて人間描写の繊細さを備え、これはフロックではないだろう。結末は悲しいものだが、それでも清涼な後味が残って余韻の写真を眺める。