もう一人の、小さい自分が存在したらしたいこと。口に入って小骨を取る。耳に入って掃除する。背中に回って太い毛を抜く。
もう一人の、小さい自分が存在したらしたいこと。口に入って小骨を取る。耳に入って掃除する。背中に回って太い毛を抜く。
七里組に参加。ひらばやし君
に頼まれてエキストラ出演をする。京王線に乗っているつもりがそれは相模原線で、慌てて降りようとするとひらばやし君に会った。二人して間違えている。
撮影を待っている間、寒さがこたえる。彼の、数十名のエキストラに自腹のカイロを配り歩く姿は素敵だった。下手したら主役の人よりも格好良かった。18年来の付き合いで初めての感情だが。
撮影班は何かと大変そうだが、クルーの中で群集の一部として気楽に、低いポジションながら俯瞰で見ることができた。趣味にしようかと考える。時局にかんがみる。
テトラポットに座って海を見ている。友人の誰かが海を泳いでいる。今にして思うと彼は誰かと誰かが混じっているような、もしかしたら全くの他人かも知らん。しかし楽しそうで、僕に笑いかけ、僕も笑った。
服を脱いで泳ぐことにした。青空は澄み、雲が近かった。ゴーグルはつけていなかったと思う。それなのに水中がよく見える。以前は陸地だったのか、廃墟が沈んでいた。深くまで潜っている途中で彼を見失う。急に暗くなり、見上げると鮫がいる。体長の規格が違いすぎて、もうどうにもならないと思った。たぶん彼は既に食われている。鮫はこちらを見ていないが、その腹が徐々に近づいてくる。大声をあげて目を覚ました。絶望に直面した時、僕は叫ぶようだ。
溝口健二の遺作はたくましく生きる現代女性賛歌。売春禁止法案が可決されるか否か、娼婦にとって激動の時代の中、彼女たちはそれでも体を張り続ける。そこに身を落としたには各々理由があり、しかしそれをおくびにも出さず、時にしたたかに、時に慎ましく、そんな姿にはエールを送りたい。
吉原の「夢の里」で働く女性5人は皆、他の店の娼婦もまた同じだと推測できるが、のっぴきならない理由で金を必要としている。稼ぎ頭のやすみは父親の保釈金のため、しかしそれを得た今もなお金への執着が消えず貪欲に稼ぐ。関西から来た新入りのミッキーは父親との確執から身を落とし、奔放に生きる。彼女らのビジネスとプライベートの風貌の差が激しく、やすみとミッキー以外が華やかな衣装を脱いで化粧を落とすととても夜の女に見えなかった。田舎の出のより江は嫁入りを夢見て、ハナエは乳飲み子と結核の旦那のため、夫と死別したゆめ子は息子と二人で暮らす日を待ち望む。貧しさは悲しさと繋がり、滑稽さにも道が通じる。娼婦がピエロに写った。ブラック・ユーモアのようでもあった。
群像劇が繰り広げられ、娼婦で唯一やすみだけがその上昇志向の強さでのし上がり、成功したようにも思えるが、描かれないこれ以降のことを考えると、おそらくその末路は悲しいものだろう。老いてなお「夢の里」にいる他の娼婦たちも当然寂しい。新たに生娘が門を叩く。人類最古の職業とされる娼婦が廃れる日は来ない。
1st
右左右左右左右左
低○中中○○高○
2nd
右左右左右左右左
高○○高中○中中
ブレイクも伝授されてとりあえずはククをマスターする。高音が鈍いのはおそらく湿気による皮の緩みが原因で、テンションを上げた。下限が分かっていないところが怖い。張りすぎて破けることは著しくテンションを下げる。
法に仕える親の後を継ぐため源之丞は父・将監の下で働いていたが、報われることの少ない町奉行に嫌気がさした。羽目を外したところを将監に見つかり勘当されてしまう。その後、流れ着いた白魚長屋の居心地が良く、源之丞はそこに居ついた。長屋の住民は貧しくもたくましく生きているが、それぞれ借金を抱えて締め出されそうになっていた。
大川橋蔵の魅力を余すところなく引き出した。義理人情が表情からにじみ出る。べらんめえ口調はぬめりがあるが如く滑らかに、キリッと上がった目にはまげが似合い、パーツ一つ一つどれをとってみても小ざっぱりとしてMr.江戸っ子といったところだろうか。ちなみにシネマヴェーラの本特集のもう一人、中村錦之助はMr.一宿一飯で。
持たざる者がさらに搾取されるのはいつの時代も同じである。借金取りが執拗に彼らを追い込むのは、札差が若年寄の機嫌を取るためそこに別邸を建てようとする陰謀があったからだった。その札差の辰巳屋を演じた新藤英太郎を最近よく見る。憎らしい犬面は悪役がピタリとはまり、名脇役なのだろう。その濡れた鼻を明かして大円団の痛快人情喜劇は起承転結が確固として小気味よい。
Primal Screamの傑作アルバムといえば「Vanishing Point”を挙げる人が少なくないと思われ、ダブに傾倒したその作品は、このヴィゴ・モーテンセン主演作からインスパイアされたと、スポークスマンのボビー・ギレスピーが語っていた。それから本作をいつか見ようと思って早10年。今まで後回しになっていたがやっと機会が訪れた。と思ったらこちらは劇場未公開のリメイクで、さらに25年前のオリジナルにボビーは影響を受けたのかも知らん。道理で編集が妙に感じ、CMに入るかのような上手くない暗転に気を削がれる。
仕事で遠方まで出向いたコワルスキーがその帰路、身重の妻に電話しても彼女は出ない。友人に連絡すると持病が再発して入院したとのことだった。車を飛ばしたコワルスキーはスピード違反で捕まる。理不尽に取り締まる警官を振り切って妻の元へ急いだ。
特殊部隊出身の彼は運転技術に長けている。警察をまく度にことは大きくなり、FBIが出動するに至った。巧みに逃げられる警察とFBIの焦燥、包囲網が拡大して執拗に追われるコワルスキーの緊張、両側面から描かれる。リベラルなラジオDJがこれにスポットを当て、彼を危険分子扱いする警察を非難し、コワルスキーをよく知る友人も揃って擁護し、市民に応援団体までできた。3つの視点が物語を多角化する。
アイダホ、ユタ、コロラド、ニューメキシコなどコワルスキーの逃亡劇はいくつもの州をまたがり、ロードムービーの様相を呈す。ネイティブ・アメリカンや反社会派の元軍人など、行く先々で出会う人たちがDJ曰くところのラスト・アメリカン・ヒーローを助けたが、国家権力は容赦ない。最後の電話を切ったコワルスキーが覚悟したこと。スピードの先に見たもの。痛快カー・アクションに留まらない。
