大便中に地震があった。その刹那、肛門が締まったようで便器に浮かぶ僕のそれはひょうたんの形をしていた。揺れは大したことなかったが、もし建物が崩壊するほどの大地震だったら僕は尻に便をふちゃくしたまま瓦礫の下に埋もれただろう。その死に様は笑えるだろうか。怖かったり面白かったり、いろいろ想像を巡らし飽きたところでトイレットペーパーに目をやると、残りはほとんどなかった。芯に近い紙はシワシワの状態で、指に付着する恐れを秘めつつ小さい切れ端でふき、補充をせずにトイレを出た。

ワークショップ仲間にダンスの先生がいて、彼女は小学生にヒップホップを教えているらしく、その発表会でジャンベの生音を入れてほしいということで、久々のライブが決まった。時間は短く、外仕事ではあるが、人前で披露することには変わりない。音源を渡されてそれに合わせるリズムを考えることになった。

いくら畑違いといえど、せっかくジャンベの演奏をするのだからアフリカのトラディショナル・リズムも入れたいという気持ちが自分の中で強まり、融合につとめて選択、作成した。

スタジオにて僕ともう一人、作ったリズムを他の皆に聞かせる。議論を交わしてリズムを交える。大まかな流れは決まり、安堵感に包まれる。帰りしなにギョーザを食べた。

旧友と二人で電車に乗っていて、降りるべき駅に着いたが行動をためらい、そのまま乗り続けて福島まで行った。実際、福島駅には行ったことがない。県庁所在地ということでターミナル的なものを僕は想像したのか、ホームにはたくさんの電車が止まっていた。キオスクで何かを買おうとする。何かは覚えていない。

ここまで来たら泊まりになるだろうということで、着替えのパンツや靴下を買うことにした。いかした靴下をみつけたが5万円もする。法外な値段だが聞けばセール中だという。9割引だと店員は言った。500円なら安いと思って即座に買ったが、5万の1割は5000ということに気づいたのは起きてからだった。

ダンスを交えてのジャンベレッスンは想像以上にきつかった。まずリズムが早い。ダンス講師のアフリカ人、テオドールがスピードを要求する。加えて終わりがない。際限なく叩き続け、ウォーミングアップの段階で心を折られた。スピードもテクニックもスキルも足りない。体力もない。ジャンベ、ケンケニ、サンバン、ドゥンドゥン、どのパートでも力量不足が露呈する。あまりに疲れて終わった頃には放心状態だった。
ペアルックに否定的ではない。家族にしろカップルにしろ、どちらかといえばほほえましく思う。もっといえば自分がしてみたいとすら思う。

タバコ店の前にある灰皿は道路に面して、歩行中の僕は足を止めて寒空の下でタバコに火をつけた。行き交う人を眺める。夫婦と思しき男女が子供を二人連れていた。男は30代後半でひげをたくわえ、モンクレールのダウンを着ている。彼女は30前後で体が細く、モンクレールのダウンを着ている。彼も彼女も顔立ちが整っていた。ペアルックに寛容といえどこれはいけ好かない。高い服を着て、オシャレ然として、幸せな家庭。人生とは選択の繰り返しである。ことごとく失敗のほうを選んでしまえと、そう心でつぶやいた。
自転車に乗っている時の冷たい風が喉に悪く、それが原因で風邪を引きやすいのではないかと思い、びあんち号にまたがる際にはマスクを心がけている。この白いマスクが、黒いひげとすこぶる相性が悪い。猫じゃらしの要領でズルズル下に落ちてくるのだ。ものの10分でマスクは口をふさがなくなり、あごを覆うようになる。たまりかねてひげを剃った。地味になった。