監督に「ヴァイブレータ」の廣木隆一、脚本に「のんきな姉さん」の七里圭、挿入歌にポラリスの「光と影」。組み合わせが興味深く9時過ぎからレイトショーで観賞する。

3人の男に買われた17歳の少女が、毎日のように抱かれながらお互いを知っていく。年をとって醜くなることを拒み、自分自身を葬るつもりで1年間の愛人契約を結ぶ。時の残酷さを知って不安になる10代。「光と影」が流れる、4人で花火を見るシーンで、彼女は男たちの悲しみを発見する。「彼らの悲しみが私の中に流れていく」。自分の体に戯れるだけの無機質のように思えた男たちの内面を初めて感じて、少女は少し成長した。

少女を演じた安藤希は今後を嘱望されているのか、きわどい場面は黒子を使用していた。裸のシーンは後姿が多い。表情を映す時は切り替わって肩から上だけになる。それでも後半、男に命じられて下着を脱いでスカートを捲くる。股に指をあてがい恍惚となる場面は本人が頑張っていた。伸びるかもしれない。

おそらく、原作であるやまだないとの漫画の空想的な世界観が忠実に現わされているのだろう。異質な空間と関係がアンバランスながら保たれる。
過去に見ているのは「ゆきゆきて、神軍」だけだが、ドキュメンタリー一筋だった原一男監督初の劇映画を見逃すわけにはいかない。終了間近ということは興行が芳しくないと予想される。

千華という一人の女を4人の女優が演じる。産んだ息子が小学生となるまでの10数年だが、吉本多香美、渡辺真起子、金久美子、桃井かおりと年齢幅が大きい。その時その時に情事を重ねた男たちに写る視点で描き分けている。4人が演じることで外見だけでなく性格的なものまで変わってくる。愛する者によってそれほどに変わるものか。おそらくそうだろう。チェンジする千華の発想と体現はスポットが当たって然るべきだ。

ドキュメンタリー作家として名を馳せる原一男は時代背景を1970年前後にした。創りだされた女のドラマという虚構と、安保闘争やあさま山荘事件といった現実。フィクションとノンフィクションを入り交えたものは数多くある。女の、一般的に捉えられた場合の転落人生を、高度経済成長期の日本と同時進行させた原。虚と実だけでなく、男と女、生と死は表裏一体である。
厚生労働省が銭湯での健康づくりを勧める事業を始めるそう。衰退が目立つ銭湯業界に歯止めをかけるべく国が動き出した。大きな湯船はストレス解消やアルツハイマー抑止にいいらしい。ブーム到来かもと、自分の先見の明に酔い、悦に浸る。

天神湯 若林4-3-6

駅の前に煙突がそびえる天神湯。前の2軒よりも繁盛しており、換気扇が回っていないのか湯気で視界が悪い。長髪に刺青の青年の隣しか空いていない。ヤクザではないから怖がる必要はないと思いつつも、浴びる湯を引っかけないように気をつける。

サウナとは別にもう一つ個室がある。ミスト風呂で中はより霧がかっている。ハーブの香りが漂い、鳥のさえずりのテープが回る。さらなるリラクゼーションを提供しているようだ。汗だくになった体を一旦シャワーで流し、備長炭入りの浴槽で締める。
ジムで寡黙に鍛える人たちがいる。頭を丸め無精ひげを蓄えたそれは、腹筋台を根城とする。他のマシーンを使用しても、すぐそこへ戻りそこで落ち着く。目を閉じて瞑想し、時折ぶつぶつと呟くこともある。見開いた眼には迷いが見えない。

青い目をした異国のそれは、まだ若年で年長者への敬意を忘れない。常連客に声をかけられれば頭を何度も垂れて「~っす」と答える。ひとたびその輩が去ると、恵まれた資質をより高みへ進めるために黙々とエクササイズをこなす。

文学を愛するそれは、文庫本を常に持ち歩く。限界を超えた負荷をかけ、苦渋で顔を歪ませる。インターバル時はベンチに腰掛けて熱心に読みふける。おもむろに本を閉じて、また己の限界に挑む。
東芝府中がマイクロソフトカップを制覇

僕が唯一かじったスポーツであるラグビーだが、ここしばらくテレビなどで見ておらず情報も仕入れていなかった。選手の名前もほとんど分からない。勢力図も皆目検討がつかない。ジャージの質感が変わっていることに驚く。体にフィットして屈強さが顕著に表れる。武骨なラガーメンはまさに男。両チームともフォワードの平均体重が100㎏を超えながらスピードも兼ね備える。

もっとマイナーなスポーツも数多くあるが、野球やサッカーに比べるとはるかに露出が少ない。情報を得る機会もそれに比例する。もう少しラグビーに注目したい。
カナダから一時帰国した友人の一声でジャグジーズ 集合。毎夏に皆で旅をしていて、今年は春にも行こうということになった。本当はこの冬に予定していたが、それぞれの都合で断念し先送りの形になる。酒やボウリングで異様に盛り上がり、罰ゲームのシッペで指が内出血した。青く膨れ上がった中指が友情の証。童心に返る。
Massive AttackのボーカルDaddy GによるDJミックス。ブリストル・サウンドの雄として長期に渡り存在感を維持するDaddy Gのセレクションはさすがだ。ファンク、ブラック、レゲエにMassiveのリミックスも加わり、らしさが匂う。しなやかな細身と異様に長い手足が無二のスタイリッシュさ。バミューダ出身というのも何か格好良い。

ブログもDJも、人に見られていることを想定した自慰行為だと位置づけている。視線を意識して、いかに自分も気持ちよくなれるか。何をしても決まる人は決まる。決める。



アーティスト: Daddy G
タイトル: DJ Kicks
温度を確かめることが好きなブンレツさんは、部屋や廊下至るところに温度計を設置しようとしている。「どうも寒いな。うむ、この温度ならそれも当然」「暖房をつけてしばらく経った。ほう、さっきとはこんなにも温度差が生じた」としたり顔をしたいそうだ。

時間にしろデータにしろ、何かと数字に縛りつけられなければもう生活ができない。総じてそのように思う。僕もとかく統計をとりたがる。それで何をするでもないのだが。ちなみに偶数が好きで、それは割り切りたい願望があるからだと分析する。ボーダレスの中に居心地の悪さ。
出演だけでなく主題歌も歌う高田渡のCDが特典で付いていたために前売り券を購入する。レアものの匂いがプンプンして手を出したはいいが、しばらく買ったことを忘れていた。

妻が亡くなってから廃人のようになった刑事の村田が、同僚の滑川とともにある殺人事件を担当することになった。殺された女性の身元確認のため苫小牧へ行き、彼女の兄を同行させるだけの仕事。生きる屍状態の村田だったが、北海道に着いてから必要以上に事件に介入していく。この心境の変化が、村田の現実と妄想の壁を破壊する。

シーンの繰り返しが多投される。薄暗い家の中を歩く村田が銃を抜く。謎の女・伸子が経営するバーで、タバコを吸う滑川からパンして酒をあおる村田をとらえる。異様なまでの繰り返しで、村田の壊れかけた心情を映し出した。

「真実は一つ」というセリフがあった。一連の事件に滑川と伸子が加担してるのか、それともただの異常者による無差別殺人なのか。すべからく真相を究明するべきという固定概念をあざけ笑う。香川照之の泣きっぷりがはなはだ自分にそっくり。
富士見湯 太子堂2-33-10

自動ドアが開くと中はかなり暗い。赤みを帯びた光が抑え目で、ノスタルジーをかき立てる。若干広めの浴場は男女間の敷居が低く、天井の高さが強調されて開放的だ。ロビーや脱衣所の暗さと対照を成している。

泡風呂の勢いが凄まじい。波が立っている。尻をつけると、溺れる深さでないにもかかわらず湯が頭を超える時がある。鼻から吸い込んでツンときた。体を洗う蛇口とは別に、カーテンで仕切られた個室のシャワー室がある。そこをいつ使うのか検討がつかなかったが、どうも皆は湯船から上がってその個室に入っている。いかにも常連ぶって真似た。

ロビーには大画面のテレビとそれを囲むソファ。番台の女性はテレビを見ながら声を出して笑っている。コーヒー牛乳を飲みながら体を冷ます。