ライブに向けてのスタジオ練習にも熱を帯びてきた。当初はアフリカンから離れつつあって気持ちが入らなかったが、形が見えてきたことで気を取り直す。ニーズに応えることが第一。かといってニーズが何かを明確に把握しているわけではない。
歯の治療代が安い。友人プライスでやってくれているのであろう。所要30分の電車賃のほうがかかっている。むしろ片道に近い。挙句の果てには痛み止めの薬までもらった。

たとえばこれが物を売っている友人なら、こちらは通常より安く買えてありがたく、あちらも物が売れてありがたく、双方が得をする。しかし治療費はどうだ。時間を割いて、微々たる料金しか取らず、得をしているのは僕だけである。申し訳ない。歯はしっかり磨こう。
起伏のある、寂れた古い町を歩いている。僕はその町を知っていた。露天風呂のある民家があって、そこに入浴させてもらおうとして向かった。その露天風呂は垣から見え、子供が入っていたので門を叩くのをやめた。行く当てがなくなりたださまよう。

そういえば、階段や坂が多い町並みはしょっちゅう夢に出てくる。都会でも田舎でもない、時代に取り残されたような場所に僕は縁もゆかりもないにもかかわらず。

中中×高低×高×低××高低×高×

ワークショップで新しいリズムが始まる。シンテはギニアのスス族のリズムらしいが、詳しいことは知らない。所有しているジャンベ教則本には載っていなかった。シグナルとブレイクが難しい。裏から入るので掴みづらかった。やりがいがある。

オーバーナイトしたのは疲れたままで帰ることを避けるためだったが、雨がより体力を奪う。撤収作業もきつかった。それでも僕は仕事をしないほう。現地ではおんぶに抱っこが常である。頭も回らず支持を待った。朝霧の時間は過ぎるのが早い。

温泉で汚れを落とし、沼津に寄って巨大なエビフライで腹を満たし、帰路に着く。トランスポーターこそ僕の役割だが、それすらもできない。帰りは運転もあまりしなかった。この疲れが取れるのはいつになるか。1週間は使いものにならなそうだ。

一人、踊りに勤しんでから買い物をしようとブースで物色し、品物を店員に渡して自分のバッグを開いたら財布がなかった。取り置きにして一旦基地に戻ろうとする。この時はまだ悠長に構えていた。タープの下のテーブルの上に置き忘れたか、その時は着ていなかった上着のポケットに入っているだろうと思っていたから。

しかしどこにも見当たらない。友人たちに聞いても反応が鈍く、事が重大であることを認識した。次第に焦り始るが、それでもなお友人連中はリアクションが薄い。茶化されて苛立ちも募らせた頃、一人がにやつきながら僕の財布を持ってきた。担がれたのだった。大いに結構。

夜から雨に祟られる。テントが水没して寝られない。必要な荷物だけまとめて車に避難した。

2年ぶり3回目の朝霧JAM。前日の夜に経って準備万端、忘れ物は必ずするからそれも良しとする。懐中電灯と汗拭きシートを忘れた。

スティールパンやディジェリドゥが高原に響く。音楽より雰囲気を楽しんだ。大勢なので基本はバラバラで行動したが夜、基地に一同が会し、誕生日のサプライズパーティがあった。まさか用意されていたとは思っておらず、嬉しくて泣きそうになった。というと誇張が甚だしいが、心に沁みる。

居心地の良い店にいた。カフェだろうか。体がすっぽり納まる大きくてフカフカの椅子にかけている。どのくらい居心地が良いかというと、寝て、かけて、目覚めたら朝になっているくらい。ただそこにいただけの夢だった。動かず、喋らず、何もしない。充分に休まった。
三軒茶屋のランドマークといえばキャロットタワーではなくセキゼンだと思っていた。そして今日はそこへ買い物に行くつもりだったが、ネットで閉店時間を調べようとしたところ先月いっぱいで潰れていたことが判明した。利用していた店がなくなることは悲しい。分類が難しく、どういった店で売っているか分からないような品は、とりあえずセキゼンに行けば何とかなるという発想を持っていただけに、今後が思いやられる。
週末は2年ぶりに朝霧JAMに行く。一昨々年、一昨年は車1台で音楽を楽しむことに重きを置いたが、今年は一緒に行く仲間も増えて、飲食物を買い込んでキャンプを楽しもうと思う。とはいっても当日は何もしない可能性が高く、トランスポーターという役どころだけで勘弁してもらいたい。

朝霧JAMの作戦会議と称して集まり、飲んだ後、ドンキホーテで足りないイスを購入する。徐々にそちらのモードに入ってきた。