多数が全て? | Fラン大学生の気になったアレコレ

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意見等あれば気軽にお願いします。

今の世の中、何かを決める際に「多数決」を用いることが多いですよね。

「多くの人たちがそう考えているのだからそうすべきである」

確かに多くの人がいればその意見は様々です。
全ての人が納得いくようにすることはなかなか難しいです。

教室でも、会議室でも、国会でも、国連でも
最後、採決をとる際には多数決です。
(国連の安保理決議に関しは少し異なってきますが…)


さて、最近の話題についても触れてみましょう。

日本が行っている調査捕鯨。
「クジラを捕まえるなんて、食べるなんて酷い」
他国ではそう考えられているのではないでしょうか。

何らかの生物を捕獲し食べている人類にとって
クジラだからダメ、牛や豚は食べていい。
(宗教によってはそういう言い方はしないでしょうけど…)

その境界はどこにあるのでしょうか?


そもそも、日本の食文化には
クジラを食べる文化というのは存在していました。

しかし、他国ではどうでしょうか?
恐らくクジラを食べる文化を持っている国はそうないでしょう。

僕らが食べているタコやイカ、ウニなどを食べない国もあるのです。


そういった国からすれば、
「クジラなんて食べなくていい。
むしろ数が減ってきているのだから保護しよう」と言っても
何ら支障はありません。

彼らの生活には何の変化がないのですから。
むしろ、数が減少している生物を保護するといった観点では
「良いことをしている」と思われている方もいるでしょう。

生態系の保存という観点から「保護」を行ってはいますが、
それが本当に良いことなのかすら僕にはわかりません。

ですが、多くの人たちはそれを良い事と捉え、
積極的な保護の方向へと進んでいます。

これも地球全体での多数決の結果なのでしょう。


しかし、「多数決が全て」といえるかといえば
そうではないような気がします。

小さなまとまりと大きなまとまりでは
意見が異なる場合が存在するのです。

最近、集団的自衛権が問題となり、
その際「日本はいずれ群を持つことになるのではないか」
との話も出ていました。

日本国内の意見をまとめたとすれば
「日本は再軍備するべきじゃない」と
軍を持つことに反対する人が多いのではないでしょうか?


しかし、世界的に見て
国家として軍を持たない国は極少数です。

多くの国は自国を守る術として軍を持ち
他国からの脅威に備えています。

この点では、世界の国々の意見を集めれば
「国家は軍を持ってもよい」という考えが多数となります。


国家というのは国民のためにあるのですから
国民の意見が優先されます。

しかしながら、多数決といっても
どの範囲で見るかによって多数派は異なるものです。

一概に、「そういう意見が多い」とは言い切れるものではありません。

あとはどの意見が優先的に採択されるか、
それだけの問題ではないでしょうか。


多数派というのは範囲によって、
また時代によって大きく異なっていく。

そう考えたとき、
世の中に本当に正しいものというのはかなり少ない、
むしろ誰かの価値観によって決められた「恐らく正しいもの」しか
ないのかもしれません。

「正しい」と断言できないからこそ
未だに意見を言い合い、より良い方向を探しているんですかね…