ゆとり教育と模擬授業 | Fラン大学生の気になったアレコレ

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頭が悪いなりに考えてみたことを書いてます。
意見等あれば気軽にお願いします。

Fラン大学のバカではありますが、
一応教職課程をとっています。

授業内で模擬授業を行うこともあるのですが
その中で少し気になったことが1つ。


「なんでその結論になるの?」と。

確かにやっている内容が間違っているわけではありません。

しかし、教科書の内容をそのまま言っているだけでは
聞いている側からすれば理解などできないでしょう。

聞いている側が大学生だからこそ理解できている、
そんな気がします。


でも、それでは教科書をただ見ているのと
何ら変わりありません。

それだと教師は要らないですよね…?

教科書を見ているのと変わらないのでは
「生徒は教科書さえ読んでいればいい」


それじゃ、先生ってなんのためにいるんですかね…

生徒の分からないところを
理解できるようにしてあげるのが役目ですよね?

それを教師自身の授業が理解できない形であっては
いけないと思うのですが…


しかし、ゆとり教育時代の教科書は
教科書の内容だけを見て理解するというには
少しレベルが高いように思います。

そもそも、ゆとり教育世代の教科書は内容が薄いです…

数学でも細かい説明などなしに、
公式とそれを用いた例題が1門程度乗っているくらいです。

それを「教科書だけで内容を理解しろ」と言うのは
なかなか難しいものがあるのではないかと思います。


「予習して来い」と先生たちは言いますが
何の知識もなしにその公式を当てはめただけで
その問題が解けるということはほぼないです。


また、例題の中にも
以前に学習済みの内容も含まれてきます。

「以前に学習しているのだから出て当たり前」

そう思われても仕方ないのですが、
教科書に「それを用いた」という説明はありませんでした。

多くの生徒は「なんで?」と思うのではないでしょうか?
何の説明もなしに、式の形が変わっているのですから。

…実際、そう思ったのは僕自身でした。
何の説明なしに式の形が変わっていて、
何かしらの公式でそう変形されたのだとは分かっていても、
何を使ったのかわからない。

例題も物によっては、
2段階くらい式の変形がされているのにも関わらず
結論の答えしか書いてなかったりするので、
どうしたらその形にたどり着くか把握するのは難しいですね。


つまり、ここでは以前学習した内容が理解され、
また別の問題の中に登場したとしても
それを応用して使用していくことが求められています。

問題のレベル自体が高いわけではないのですが、
生徒側に求められているレベルが少し大きいのではないでしょうか?


そのような内容のため、
ゆとり教育は実施される前から
できる人とできない人の二極化が起こるであろう、
ということは言われていました。

ゆとり教育とは名ばかりのエリート教育だと。


そのような世代が模擬授業を行うにあたり出てきたものが
「なぜそうなるのか」という部分の欠落した授業です。

僕ら自身は個人的な理解の仕方、
一貫した説明は教科書に載ってはいなかった、
そういう点でこのようなことが起こるのは必然的ではないかと。


僕らの世代は、恐らく習ってきたものを教えるだけでは
他者(生徒)に対して十分な理解をさせることはできないでしょう。


授業を行うにあたり、
現職の先生たちも授業準備として相当な知識や情報を蓄え
授業を組み立てているとは思います。

しかし、ゆとり世代の人たちが授業を行うには
知識だけではなく、授業の形・内容について
もっと考えていかなければならないのではないでしょうか?

自分たちが中学や高校で受けていた授業を模倣するというよりは
より理解できるよう内容1つ1つを考え、
どのような説明によって理解させるかをさらに考えなければならない。

言ってしまえば、新しい授業のやり方を
見つけなければいけないのではないか、と。



ゆとり教育世代は「なぜ?」「どうして?」という部分を
教科書ではなく、教師の説明や自身による努力によって
何とかしてきた人たちが多い世代だと思っています。

一貫した説明なく、個人だけが理解できる形で
理解してきたものを他者に言葉で伝えるというのは
教科書の内容を伝えるよりもはるかに難しいものです。

しかし、教師の立場としてはそれを避けることはできず、
特に独自の解釈の多い自分たちの世代では
より難しいものになるのではないかとは思いますが、
それこそが求められているものだと感じています。


恐らく教師に求められているのは「結論」ではなく
「結論に至る過程をいかに理解しやすい形にできるか」
ということではないでしょうか?

答えだけであれば参考書の後ろに乗っていますしね。


受けてきた教育によって人って結構変わるものですね…。




ついでに。
模擬教育をしてみて、また受けてみてのことを。

「知識があるものの、時間的な都合や内容の問題点を踏まえて省く」という人
「内容についての知識がないから授業で扱わない」という人では
授業内容に大きな差がありますね…。

後者の方は授業内容が教科書と何ら変わりない
言ってしまえば中身のない授業です。

また他者から質問があっても答えが出るまでに時間がかかる。

恐らく指導要領通りの授業、
言ってしまえば表面だけの授業を行うためだけにしていることが
聞いているこちらからしても丸わかりです。


一方、前者の人は
少しの空いた時間でもそれに関連する話を入れてくる。

何気ない話ではありますが、
そういった話が生徒の興味を引くこともあるのではないでしょうか?
…僕自身、そういう無駄話のある社会科の授業好きでしたから。

そういう人は質問をすると、
答えを返してくるだけでは足りずに、
より深い話をし始めたりするものです。


教師という職業は「教科書」を基準に動いていますが、
その情報量は教科書の何倍という量がやはり必要ですね。

現場の先生たち、特に若手の先生は
授業前の準備にかなり時間をかけているのではないでしょうか?

一つの授業を組み立てるために
かなりの時間をかけて情報を集めているのにもかかわず、
「つまらない授業」と言われては困るので、
授業の仕方などにも工夫していると思います。

それらを踏まえると、1時間に満たないとはいえ
一回の授業って物凄く大変です。

その大変さを高校時代にもっと知ることができたらなぁ…
と日々、思うばかりです。