DAY23 ナイロビのエチオピア大使館 | 東アフリカ(タンザニアからエチオピア)そしてイラン、イラク、中央アジアへの旅の記録(2023年4月10日より)

東アフリカ(タンザニアからエチオピア)そしてイラン、イラク、中央アジアへの旅の記録(2023年4月10日より)

東アフリカから(タンザニアから始り、エチオピア)そしてイラン、イラク、中央アジアへ向かうの旅の記録です。
(2023年4月10日よりスタート、現在継続中です)

朝1番で、エチオピア大使館にビザの件で相談に行く。

 

 

当初、エチオピアに入国する予定をタンザニアに変更した。

 

そのため、出国日まで日にちがなく、このままだと、エチオピアに滞在できる日数が限られてしまう。

 

手続き可能かわからないが、入国予定日が変更できないか、また、滞在を延長できないかを確認しに行く。

 

ウーバーで大使館へ、そこは大使館らしく静かな場所にあった。

 

先客が3名おり、窓口に行くと相談内容を聞かれる。

 

ビザについての相談だというと、今日は会議があり、ビザの責任者が来ていない、もうしばらく待てと言う。

 

外で1時間待つと、スーツ姿の責任者が車で登場し、全員が通される。

 

責任者はたったまま、先客の3名に明日また来いだのなんのと言っている。

 

もう終わった。次は私の番だ。

 

要件を伝えると、入国日の変更はここでは出来ない。今のビザが切れてから再申請するか。今からアディスアベバに行き、滞在延長申請するかだと彼は言う。

 

とても食い下がれる雰囲気ではない。

 

礼を述べると、十分足らずの滞在でまた、責任者は車で去っていった。

 

実はこの頃、岸田首相がケニアを訪れていたのだが、関係があるかはわからない。

 

ここで出来ないのであれば、しょうがない。

今からならギリギリ、アディスアベバに間に合うだろう。

この日の午後、明日夜発の国境の街、モヤレまでのチケットを手に入れた。

 

その後、名門ナイロビ大学を見学後、再び市内を散策したが、今回も特に危険を感じるようなことは無かった。

 

[ナイロビ大学正門]

ナイロビ大学

 

しかし、観光のローシズンということもあるだろうが、外を半日歩いても、一人も白人、アジア人(中国人など)にあわなかった。

 

これはどういうことだろうか。

 

やはり安全を考え、タクシーでドアtoドアしているのか。

 

確かに街歩きしても、見どころは多くないのだが。

 

 

私の思うところ、ケニア人並びに東アフリカの人達はほとんどが温和な人達であり、とてもそんな犯罪を犯すようには見えない。

 

正直、映画やアメリカでの経験などからもっと違うイメージを抱いていた。

 

例えば、粗野、乱暴など。

 

実際は温和、しつこくなく、親切な人達であり、そういった意味においては非常に旅行しやすい国であった。

 

これは旅をしてわかる、良い誤算だった。

 

それに、銀行は武装したガードマンがいるし、ホテルや商店も武装の程度はともあれ、ガードマンがいるので、強い犯罪抑止力が働いている。

 

滞在が長くなれば、また夜になれば、スラム街には別の顔があるかも知れないが世界3大危険都市とは大袈裟ではないかというのが、短期感私が滞在したナイロビの感想である。

 

あくまで私の感想なので、旅行に行かれる方は十分に気をつけてほしい。

 

明日はケニアのサファリについて書く。