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「白夜行」「容疑者Xの献身」といった「献身」という流れを、また別の意味で展開したのが今回の「真夏の方程式」です。
ある事件に関わらなくてはならなかった人物たちは、なぜ故に神様に選ばれたのだろうか?
そう考えざるを得ないかもしれません。
直接的に犯罪に関わった者と、関わってしまった者と。
直接的に犯罪に関わった者にも、どこかで誰かがなぜか歯車を狂わせてしまったことで、そのわずかな行動が、次の関係者を巻き込み、そこでまた歯車が大きく狂った時、もう歯車は元には戻ることはなく、別の弧を描きはじめてしまいます。
それが、あまりに大きな弧を描いたことによって、別の弧を描いていることを忘れてしまったかのように、関係者が一心不乱に生きることで、別の弧が回りはじめたことに気がつかず……いや、気がついていても、気がつかないようにそのことに目を閉じざるを得なくなってしまうわけで。
まるで何事もなく新しい弧が回りはじめたと否が応にも思い込みたくて、誰もその蓋をあけることはできなくなってしまうのです。
そのういった渦は、うまく蓋ができれば、みんなの心の中で風化していくことができるのかもしれません。
全員が、心の重荷を忘れることはできないけれど、絶対的に墓場まで持っていくと決めたこと、それが誰かのちょっとしたミステイクでほころびはじめます。
たくさんの思い出の砂を詰めたビニール袋が、知らないうちに、小さな穴があいてしまって、それがみるみる大きくなっていく様と同じで、ビニール袋が裂けていくのは誰にも止めることはできないわけで。
それを止められるのは、もしかしたら、みんなが封印しようとしたことの上書きになることしか、あり得ないのかもしれません。
そのために、人生とは酷なもので、この誰の人生よりも重いかもしれない事実を、1人では到底背負えなくて、だから周りにいる人をどんどん絡めていってしまうわけで、それでも、抱えきれなければ、抱えきれる人数がそろうまで周りの人を巻き込んでい区分けです。
巻き込まれている意味を知らないままはじまったのに、時間とともに何が起きたのかわかるわけで、その意味をいつ知るか、これがその人の人生を、人間形成を左右するのかもしれません。
この悲しい夏物語りの終わりに、主人公の湯川が少年に言います。
「今回のことで君が何らかの答えを出せる日まで、私は君と一緒に同じ問題を抱え、なやみ続けよう。忘れないでほしい。君は一人ぼっちじゃない」
なんて素敵な締めくくりでしょうか。
人はみんな弱い生き物です。
本当に弱っているときに「一人じゃない」とちゃんと言ってくれる人がいるとしたら、その人は幸せ者だと思います。
真夏の方程式 (文春文庫)
東野 圭吾