アンリ カルティエ=ブレッソン写真展「心の眼」at CHANEL NEXUSに想うこと。 | 編集者福田清峰の八ヶ岳南麓田舎暮らし 天使のように大胆に悪魔のように繊細に 八美里ファームと実践出版塾と

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八ヶ岳南麓で田舎暮らし。「森の中に暮らす生活」を楽しむ「八美里ファーム」におけるDIY、八ヶ岳周辺の大人の散歩道、主宰している八ヶ岳自然教室のことなどもを紹介。「5年愛される本づくり、そして10年愛される本づくりへ」をモットーに書籍を編んでいます。

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アンリ カルティエ=ブレッソン写真展「心の眼」1月18日から2月10日まで銀座シャネルのネクサスホールで開催されていました。




アンリ カルティエ=ブレッソンが亡くなったのが、2004年8月3日ですから、早8年半の年月が経ちました。

以前デスクをしていた「Natural Glow」で、アンリ カルティエ=ブレッソンの奥さんであるマルティーヌ フランクを特集したのが2004年の5月でした。
そのあとすぐに、アンリ カルティエ=ブレッソンが亡くなり、Natural Glow No.36で追悼号を出したことも強く印象に残っています。


マルティーヌ フランクを1冊特集したのも、追悼アンリ カルティエ=ブレッソンを1冊特集したのも「Natural Glow」だけであり、編集者としては私だけでした。




ナチュラル・グロウ―モノクロ写真を楽しむ写真誌 (No.36(2005年1,2月))
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ナチュラル・グロウ―モノクロ写真を楽しむ写真誌 (No.32(2004年5,6月))
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今回の展覧会では、代表作54点が展示されました。
きれいに広く浅くアンリ カルティエ=ブレッソンの世界を観てもらうセットになっていました。


アンリ カルティエ=ブレッソンの写真のテーマは、写真が一番写真として撮れた時代の見本であったと思います。

アンリ カルティエ=ブレッソンが求めたものは、「ここから逃げ出す瞬間」であり、「そこから動き出す瞬間」でした。

それを象徴するのが、1952年に出版された写真集です。
邦題では「決定的瞬間」ですが、フランス語の原題では「Image à la sauvette」、つまり「逃げ去る映像」という意味です。


人はみんな一瞬が好きです。
決定的瞬間を捉えるということが好きな生き物です。

だから、ブレッソンの捉えた心の目に、何かソワソワした高揚感を感じるのです。
それは、ほどなく、すべてにおいて心地良い瞬間です。

心地良い瞬間だけを切り取ったブレッソンの目がどれほどピュアなものであっか、実は、彼が撮った妻、マルティーヌフランクの写真に、すべてが集約されています。
あの無敵とも思わせるブレッソンが恥じらいとためらいとそして、ちょっとした冒険をしている姿に、なぜか、「やっぱり」といった安心感を覚えます。


Martine's Legs. 1967.
© Henri Cartier-Bresson/Magnum Photos


いい写真が撮れるかどうか、それは女の人が好きかどうかというのがひとつのバロメーターです。

そういった意味でブレッソンはほとんど皆無といっていいほど女性のポートレートを撮っていません。

きれいな女性や可愛い女性を目の前にしたら、その女性を自分の目で見たその感情で撮りたくなるはずです。
それが写真家の原点です。
しかし、そんな感情を表に出すことなく、瞬間として捉えることをしてきたのがブレッソンなのです。


ブレッソンは写真についてこんなふうに語っています。
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これまで一度として「写真そのもの」に情熱を傾けたことはない。
私が愛するのは、自らをも忘れる一瞬のうちに、
被写体がもたらす感動と形状のうつくしさを記録する写真の可能性だ。
そこに現れたものが呼び起こす幾何学だ。
写真のワンショット、それは私のスケッチブックの一冊。
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写真が大好きなのに、写真にこだわった感じがなく、道具として使ったといわんばかりのブレッソンが素敵です。


ブレッソンの写真は、「動」をどこに表現するか、もしくは「動」をどう封じ込めるかでシャッターが切られています。
それはきっと、映画「大いなる幻影」の監督ジャン・ルノワールのもとで、助監督を務めていたことがあるからかもしれません。
ジャン・ルノワールは印象派の画家として有名なピエール=オーギュスト・ルノワールの次男です。
さらに、ブレッソンはルノワールの絵が好きで、ジャン・ルノワールの助監督になったのではないかと想像してしまいます。
残念ながら、ジャン・ルノワールは父の絵を売却して映画を作っていたので、ブレッソンが名画をジャン・ルノワールの所でルノワールの絵を目の当たりにすることはなくとも、ジャン・ルノワールから父の話を聞いたりすることで、憧れを強くしたのではないかと。
なぜなら、ルノワールの絵画技法をの印象を色濃く受けた作品がいくつもあるからです。
写真で絵を描くなんて、ブレッソンにしかできないことだと思います。


FRANCE. Vaucluse. L'Isle-sur-la-Sorgue. 1988.
© Henri Cartier-Bresson/Magnum Photos




2012年8月16日、マルティーヌ フランクがお亡くなりになられました。
74歳でした。
マルティーヌ フランクに会ってお話をさせていただいたのが2010年8月25日でした。
つい昨日のように覚えています。

そのときの模様をそのときのブログ記事で下記のように締めくくりました。
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もっと、たくさん話をして、たくさん伝えたい思いもあったし、
たくさん聞きたいこともありました。
でも、それは、次回また会えるときにとっておきます。
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と。
しかし、その夢も叶わないまま、彼岸の地に旅立たれました。
きっと、ブレッソンと2人、また写真談義でもしているのでしょう。
いや、ブレッソンがロバート・キャパやジョージ・ロジャー、デビッド・ シーモアら、マグナムをの創設者たちと盛り上がっているところへ、マルティーヌ フランクも混ざっていったのでしょうか。

マルティーヌフランク写真展「麗しき女性たち」/CHANEL NEXUS(シャネル ネクサス)