謎の古いアルバム第4話<昭和初期の鮎釣り> | 長良川と郡上竿の世界

長良川と郡上竿の世界

ディープな世界にようこそ

謎の古いアルバム第4話<昭和初期の鮎釣り>

ちょっとアルバムを離れて、ここで戦前の鮎釣りとはどんなものだったのか覗いてみたい。
古く江戸時代から鮎を釣るには、沈め釣り(ドブ釣り)、友釣り、素掛け(引っ掛け)の3つの方法があり、遊漁としては様々な毛バリを使って釣る「沈め釣り」が主流であった。
下記は、紀の川で鮎の沈め釣りを楽しむ人たち
「釣の友」昭和10年6月号から
イメージ 4
一方で、友釣りは職漁師が行うものとされていた。
沈め釣り(ドブ釣り)をする者は友釣りを蔑んで見る傾向があり、川の中に立ち込んで釣る友釣りと岸から静かに釣るドブ釣りでは相容れず、川で諍いが生じることが多かったという。
しかし、昭和に入ると安価で丈夫な人造テグスが大量生産されるようになり、道具の進化とともに、友釣りの面白さに気付いた一部の釣り人から、徐々に広く注目されるようになってきていた。
(戦前の人造テグスの話については、私の過去の記事をご覧ください)
 
 
その昭和初期の様子を古書中に探してみた。
まず、当時の鮎釣り指南書である「釣魚秘伝全集5鮎の友釣」村上静人著(昭和9年)には、友釣りについて下記のように書いてある。
イメージ 5
 
―前略―
簗、投網、友釣、ゴロビキ、引掛釣、チョン掛などはとにかく職業的漁獲法とされている傾向がある。従って一般遊漁者の漁獲法としては、これ以外の漁法で、その中でも、近時最も盛に遊漁者間で賞揚されているものは、沈釣、すなわちドブ釣りである。けれども、私は従来、とにかく職業的と解されている友釣を、一般遊漁者にお勧めしたいと思う。
―後略―
 
また、亀山素光は、先に出てきた著書「釣の話」(昭和15年)の友釣の項で下記のように書いている。
イメージ 3
 
 
―前略―
友釣は我国独特のものであって、世界的な釣方である。昔は武人にのみ許されていた釣で一般には禁じられていたらしい。従来職漁者の多くは友釣をやるので近時沈み釣(ドブ釣り)の流行と共に友釣は、職業的釣として卑下する文献が散見されるのは遺憾に思う次第である。沈め釣は釣特有の妙味はあるが友釣も其れに劣らぬ、むしろ以上の釣味のあることを銘記したい。成程数に於いては沈め釣に一籌を輸す(一歩遅れをとる)も、職漁者でない我々は十匹二十匹も釣れれば目的は達せられる。其の川の最大級のものを選り釣出来、殊に盛夏の頃上流渓谷での優物の釣味に至伝は到底沈め釣の比ではない。釣期間全期を通じて釣れるのも友釣である。友釣は沈め釣は技巧的に六ケ敷い(難しい)とか、水中に立ち込まねばならぬとか職漁者がやっているからとかの理由で友釣を非撃するのであれば、それはあまりに皮相的な解釈である。沈め釣当党も一度友釣の味が解れば却って友釣礼讃者となられるのではないだろうか。
―後略―
※上記冒頭の「世界的な釣り方」とは、世界でも指折り数えられるほど優れている、世界に誇れるという意味であろう。
 
今回のアルバムも、そんな友釣りが黎明期だった頃のものである。
実はその中に、当時の状況を象徴する興味深い1枚の写真があった。
イメージ 1
 
多くの背広を着た大人が黒板に向い、真剣な面持ちで話を聞いている。
最初は、何か実業の説明会だと思って見過ごしていた。
しかし、良く見ると講師らしき人物は釣り竿を持っているではないか。
更に、黒板に白墨で書かれた図は鮎の友釣りの仕掛けであった。
(上記写真の黒板の拡大)
イメージ 2
そこには、鼻環(ハナカン)と、掛け針は一本針や蛙又の吹流し仕掛だろうか?
それにしても講師はだれであろう・・・
この時代に友釣りを説明できる人物はそう多くないはずである。
上田尚か村上静人であろうか・・・もしくは藤田栄吉あたりであろうか。
この写真には、それまで漁師の釣りとされていた友釣りを学ぼうと真剣に聞き入る人々が見える。
このようにして、鮎の友釣りに魅入られる人がだんだん増えていったのだろう。
この写真は、趣味としての「鮎の友釣り」が開花した時代の記念すべき1枚である。
次回もこのアルバムの話のつづきです。