不条理をのりこえて
今年にはいって、これでもかというほど不条理を経験した。暴力被害、裁判沙汰、偽証、仲間からの誤解、信頼していた人の裏切り。。ここで詳しく話して、ネガティブに浸る気は全くないんで、詳細はかかないですが、はっきりって、ほんとうにこたえた。まるで、ずっと、神だ、愛だ、悟りだ、喜びだ、許しだ、感謝だ、と言っていた自分に、だったらこれでも、そういったものを貫けるのか、といったメッセージだったのかもしれない。混乱、怒り、悲しさ、焦燥など大きな感情と向き合うことができた。そして、それでも自分はなんとか、自分らしさを貫けたと思う。大きなエゴをぶっ飛ばして、それでも自分にも改善できた点はあったのかみつめられた。必要な癒しや、学びも、偶然ではなく本当に必要なタイミングで舞い降りてきた。僕はさらに、自分より大きな存在を信じて、その道理にそった生き方をしようと模索できた。物理的にも、感情的にも、行動できない期間もあったので、最低限の仕事をしながら、瞑想したり、読書したりしていた。そんなときの読書は、心に響く言葉ばかりだった。精神世界が大好きな自分は、自分の内面を見つめなおすことができた。自分が、この状況で学べることは何だろう。進化できることはなんだろう。それでも愛を信頼すること。より大きな視点で「大きな意図」を感じること、そしてそれらに忠誠すること。不条理だって、いいじゃないか。人生は波がある。それだって、プラスに変えてやる。自分の糧にして、成長してやる。一時的に、打ちのめされても、大きな視点をもって喜んでやる。なんて感じて、やっぱり清々しい^^