人生の目的を成長と考える人がいればお勧めしたい。
それは
「摩擦に挑む」
ということだ。
何かしら問題が発生するとき、そこに摩擦が発生する。
簡単にものごとが進まない場合、そこには成長の糧が潜んでいる。
何事もスムーズにいくときは気持ちがよいものだが、そこには成長の種はない。
刈取りの収穫を味わえる時だと考える。
もっとも何もないのに、
「わざわざ厄介なことを起こせ」
と言っているのではない。
逃げたい、避けたい、フタをしたい。
そういう事態になった時、その問題に挑む。
難題は成長するためのギフトなのだ。
親が小さな子供に危いからと言って、何もさせない。
これは摩擦の体験を排除している状態。
独力で生きるすべを獲得する機会を奪っている。
過保護に育てられたひとを見ればわかるだろう。
大きくなって、ひとりで困難に出会ったとき、対処することが出来ない。
多かれ少なかれ、誰にでもそれはあるだろう。
しかし勇気をもって、その摩擦に挑むのだ。
人生の成長が目的でないひとたちには関係のない話。
快楽を楽しみたい、惰性に流されたい、現実を見たくない。
そういう人たちには無意味のことだ。
しかし、人生に目的があるなら、何回かに一度は摩擦に挑むことを勧めたい。
摩擦が減って、摩擦がなくなった時、新しい世界を見ることが出来るから。
そして、それが本当は無意味な摩擦でなかったことに気づくだろう。
芦屋の癒し人
