こんにちは。
ファイブカラーの三岬 奈央です。
●心が作り出す『影』 その6
前回までの復習;
「区別」と「分離」の違い。
「区別」とは、
違いを認識するためにカテゴライズするもの。
それはもともとひとつのものだが、役割が違うとみる。
例)手と足と腹は、役割は違えど同じ身体の一部である
腹が痛いと手で押さえて手当てする
⇒ 意識で「ひとつ」だと認識できるから
「分離」とは、違いを認識するだけでなく、
他と切り離されたものとみる。
例)胃ガンなら身体から切り取ればいい
⇒ 精神的ストレスが胃ガンを作り出すという認識の欠如
それは意識にもいえること。
自己判断で測る「正しい」と「邪なる」心は、
もともとひとつの「意識」なのに、
「邪」という負を封印もしくは切り離そうとする。
このような「ばらばら」思考が「分離」を作り出し
封印された意識が他へ投影され、
差別、カースト意識が生じる。
では、投影される対象はどうやって決まるのか?
偶然に起こることで、対象者(鬼)は
単に運が悪かったというのか?
◆◇◆◇◆◇◆◇
共働きの親に育てられた姉妹が言う。
姉:お母さんがいつもいなくて寂しかった。
その反動で不良になった。
妹:お母さんが適度にいなくてちょうどよかった。
口うるさくなかったから、かえって勉強した。
同じ環境下でも、捉え方、行動が異なる。
まず母の存在感
姉:「いつも」いない
妹:「適度に」いない
その結果
姉:寂しい ⇒「不良化」
妹:自由で快適 ⇒「勉強熱心」
真逆である。
<これは親の行為に「因」がある>
というだけでは説明できない。
つまり、種(因)はあってもそれを育てる
土壌(条件)が整わなければ、芽(結果)は出ない。
親は子どもを不良化させる「種」を撒いたが、
姉はそれに感応する「土壌」を持ち、妹にはなかった。
また、土壌が同じでも種がなければ芽(結果)は出ない。
上記姉妹の例でいえば、
姉妹の持つ種(業・カルマ)が異なるため、
同じ母の育て方(条件)でも「結果」は違った。
どちら側からみても結局、
「為るようにしかならない」。
差別やカーストもそう。
その時代、その環境で、たまたまそこにいた。
因を振り撒くヤツが現れ、その対象になってしまった。
つまり「運が悪かった」
そう思いたいことだろうが、すべては『必然』。
「たまたま偶然」という原理は、
ユニバーサル・ルールには、ない。
一族の屈辱、瞬間瞬間に受けた被害や差別は
まぎれもない事実である。
それがどのような意識構造から生じるのか
まず理解する。
次は、なぜそれが「あなたに」起こったのか。
ここに「縁起の法」が登場する。
すべてに因果律が成立するというルール。
これが宇宙の采配。
過去の行為の結果として。
よく耳にする過去に起因する
「トラウマ(外傷性傷害)」という概念も本来は、ない。
外から受けた傷は事実であるが
それはあくまでも条件。「本質」ではない。
すべては自己の受け取り方しだい。
だから、相手を責めたり、優遇措置を受けるのは
天のルールからみるとアンバランスな対処となる。
「すべて存在はありのままでいい」
これが大乗仏教でいう宇宙の絶対的境地である。
確かに世界には、ヒトがヒトを殺す
戦争や搾取、抑圧がある。
自然破壊や多くの混乱、天変地異が起こる。
しかし、それはそれで、すべてがそのまま宇宙である。
天が、自然がそれを「許す」から
現象として起こる。
そういう意味での「善悪」はない。
カースト制度にも、ある種のメリットはある。
職業選択に迷いがなく、誇りをもって誠心誠意働ける。
婚姻もしかりである。
高望みせず、与えられた生活に満足する喜び。
日本のように職業も婚姻も「自由」な国で
ある程度、経済的自由とあらば、
「選ばない」という選択もある。
自らの意思で「選ばない」ならいいが、
「迷い」ゆえの「選べない」結果だと、後悔がともなう。
すべては摂理、原理原則を知り、受け入れるしかない。
それを知らず「無智」な行動、「やり過ぎ」が、
「差別」という悲劇を増大させているように思う。
そうした場合でも大丈夫。
宇宙がちゃんと元に跳ね返してくれるから。
これで平等。バランスが整う。
・・・すべてが清浄
これが宇宙である。
Fin
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☆ファイブカラー☆
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