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ドラッカーなんて深めてみる

「経営者に贈る5つの質問」がよかったよー。

我々のミッションとは何か? P・F・ドラッカー



継続と変化を可能にする力
ジム・コリンズ
◆ミッションは働くことの意味を示す




「ミッションを持つことは、激動の世の中ではますます重要となる。世界がどう変わろうとも、人は、誇りあるものの一員たることを必要とする。人生と仕事に意味を必要とする。絆と心情の共有を必要とする。予測不能な暗夜にあっては、導きとなる原理、丘の上の灯を必要とする。
人類の歴史上、今日ほど、自由と責任という自治の精神のもとに、意義あるものの為に働くことが必要とされている時はない。」


“働くことの意味を示す”意味とは方向性だ。
方向性があって、初めて大きさが生まれる。大きさとは価値である。
方向性は決断であり、その力によって生まれた大きさが自分に返ってきた時に、誇りや自信が新たに芽生える。
それは、芽生えであって、育てなければならない。
育つとは、どれだけ触れたのかとなる。
つまり、方向性やその出発の心への問いかけなのだ。


これはロジカル的な世界ではない。自己認識による感性的な世界であり、アート的な世界だ。
心の振動一つを感じることが出来る世界観なのだ。


ドラッカーの言っているミッションという世界観は、固定ではなく動きそのものの世界ではないだろうか。
涙や悲しみ、喜びが共有共感できる世界ではないだろうか。
否定や屈辱、尊厳性の喪失からくる震えを含む世界ではないだろうか。
決して学術的な型にはめた世界観ではない。
心の動きを観察できる世界観なのだ。


人が創造しうるあらゆる心の振動に優しく触れる“観”を持つ“術”によって顕在化される灯が、働くことの意味を示すのかもしれない。
これほどまでに、人類の歴史上必要な術はあるだろうか。


失望は期待の裏返しである。絶望は底力の裏返しである。
人間の尊厳性を、そして一番の素晴らしさを仕事化し、産業化していくことをドラッカーは見ていたのかもしれない。
それらもやはり、型にはめられたお堅い世界ではなく、動きそのものの柔らかい世界観なのだ。
誰もがリーダーシップとフォローシップを自由に取ることのできる組織。
全員が観術を持っていてできる濃度がある。

我々のミッションとは何か?  P・F・ドラッカー



継続と変化を可能にする力
ジム・コリンズ



「「我々のミッションは何か?」という簡単な問いが、継続と変革を可能にする。偉大な組織は、全て本質を維持しつつ進化していく。変わらぬミッションに従いつつも、改善とイノベーションを求めてやまない。ミッションを不変とするがゆえに、変化に呼応して、行動、規範、戦略、戦術、プロセス、構造、方法を不断に変えることが出来る。」


ある企業は、社員寮に住んでいる社員を対象に、3ヶ月に一度引っ越しをすることをルールとしていた。業者には頼まず、全て自分たちで行う。東京で7拠点ある住まいのシャッフルが行われる。自然と荷物は簡素化され、残るべきものが残る。
荷物の運搬を担当する者、荷物の受け入れを担当する者、荷物がはけた後の掃除をする者。役割は生まれ、トラブルが起きても即時解決の為に全体が動く。次の日には何事もなかったかのように、一日が始まる。


ある企業は、一年の内に1000人規模のイベントを東京、福岡、札幌の3拠点で行った。
各拠点のメンバーが核となり、実行委員会を設立。スケジュールを立て、あいさつ回りをし、協賛金を募り、会場からパンフレットまで、全て各拠点のメンバーで行なわせた。
売り上げを上げたいのであれば、営業に力を入れた方がずっといい。
全員が大規模なイベントなど経験したことはないのだ。無駄なロスは計り知れない。しかし、まったくやったことのないことをやりぬかせた。


あるグループ企業は、数千人もいる社員に2030年のビジョンを語らせた。チームを作り、ディスカッションをさせ、多数の前で発表させた。管理職、取締役も含め、全員参加とした。
1年後、オーナー社長が社員、顧客の前で2030年ビジョンを語り、時代を創出する壮大さを表現して見せた。


「ミッションは、何を行うべきかとともに、何を行うべきではないかを教える。」
ミッションは無限大であるべきであるとドラッカーは言っている。
無限大の中には、68億人が入っていて当然である。
68億人を相手にするのであれば、“私ごと”にはまる思考・イメージでは、バランスが取れない。むしろ、自分と68億人との共通点を探さなければならない。



先に紹介した3つの事例は、一般的な企業のイメージでは創造もつかないことだろう。雇われる側と雇う側の関係性であれば、人は動かない。
選択するには、何を放棄するべきかを明確にすることだ。
放棄すべきは、存在や環境ではない。


クラウド化する世界



余談。


今回紹介するのは、「クラウド化する世界」の中の一部。
内容は次世代ITの話。その中で、電気利用を標準化にいたるプロセスが対比的表現してある。
内容はアメリカで どーでもよい日記 さんに要約が載っています。


その中で興味を引いたのが、エジソン
エジソンがやったことは何か。
それは、電球を1000回も失敗しながらも、周りにバカにされながらも創ることに成功した。
って人じゃなかったってこと。



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「電気利用の民主化が商業と社会にもたらした影響は、計り知れないほど大きい。伝統は生活のリズムを変え、電化された組み立てラインは産業と仕事の意味を再定義し、そして電化製品は家庭に産業革命をもたらした。安価で豊富な電力が、今日の世界を形作ったのだ。それは、ほんの百年前には存在しなかった世界である。わずか数世代が経験しただけなのに、その変化は大きく複雑なので、電気が壁のソケットから流れ出る以前の生活など、ほとんど想像できないほどだ。」
実は、産業革命をさらに飛躍させた、“電気の利用を標準化”の基本プレートを作った人物がエジソン、その人。


では、その基本プレートはどんなイメージから創られてきたのか。
それが、ここでお伝えしたい部分。
「盆用の発明者と違って、エジソンは個別的に創造することはなかった。彼が造ったのは、システム全体だった。最初に全体を想像し、次に必要な部分を造り、それらの部分を継ぎ目なく適合させた。エジソンは後に「ランプが光り、発電機が電流を創りだすことだけが必要なのではない」と、ユーティリティーとして電力を供給する計画に関して書いている。「ランプは発電機の電流に適合していなければならないし、発電機はランプが必要とする性質の電流を供給できるように創らなければならない。そして同様に、システムを構成する全ての要素は、相互に関連付けて構築しなければならない。それゆえ、全ての部品は一つの機械(ワンマシン)を形作っているともいえる。」」


部分を作りながら、その蓄積で全体が生まれていったわけではない。
まず初めに、全体像がはっきりしていた。
つまり、明日への一歩から始めてはいなかったのだ。


戻るべき場所があったからこそ 、たとえ失敗の連続のようであっても、自分が何をやっているのかを見失うことがなかったのだろうと思う。


エジソンには、人の生活や人生を変えることの動機とその成果 の具体的イメージがあった。だからこそ、一つの組織を超えた、ワンマシンを作り上げることが出来た。
そのワンマシンの中には、強力なマーケティングやパフォーマンスにより、機会と能力と意欲 を創出していった。


それまでガス灯しかなかった時代に、電灯を設置し、一斉に点灯させたのだ。
そこで生まれた機会と能力と意欲は、新しい未来を予感させるには十分だったに違いない。


この本の最後では、今の経済の方向性について、警鐘を鳴らしている。
「ネットワーク化されたコンピューターの機能と有効性が進化して、ソフトウェア機能も拡大しただけでなく、新ビジネスの隆盛によって、企業が従業員を必要とする機会はますます減っている。この「社会的生産」(Social Production)と呼ばれる現象は、特にメディア、娯楽、ソフトウェアの各業界の経済を再構築している。社会的生産は実質的に、多くの「柔軟性や創造力、全般的な問題解決能力や、複雑なコミュニケーション能力を必要とする、非定型の認識作業」が、無報酬で行われる状況を許している。」


スティーブ・ジョブズ の言葉が思い浮かぶ。
「模倣する方が楽しいかもしれない。でも、そんな事をしても世界は良くならないんだ。」


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クラウド化する世界
著者:Nichoklas G Carr
訳者:村上彩
翔泳社
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