













おはようございます。
心屋リセットカウンセラーのひとりんです![]()
今朝の仁さんのブログ![]()
昨日 娘の参観日でして
昨日の朝号泣して、泣きはらして腫れた目で、行ってきました。
いじめについて、弁護士さんの講演会を子どもと一緒に聞くという
授業でした。
最初の方は、ふんふんと
なんなら笑ったりしながら楽しく聞いたり、
娘と話したりしていましたが
最後
「もし今、いじめにあっている人がこの中にいたら」
と言いながら
「あなたが悪いんじゃありません」
というメッセージが大画面に映されたのを見たときに
鼻の奥がツーンとしました。
2年前、
娘はいじめにあって、不登校になった。
その時
いじめをする方が悪いと思いつつも
学級崩壊している中で
真面目にしようとして
「ぶりっ子」と大勢の子から言われるようになっていったので
夫は教員だし、私も元教員だし
ちゃんとしなくちゃと教えてきた
私たちが悪かったのかと
ずいぶん自分を責めたものだった。
で、
初めて行った12月の福岡のBeトレで、泣きながら、
「私、妖怪おかあさんかわいそうを飼っていて
母が鬱病になって
娘がいじめにあって不登校になって
私のせいかと思うんです」
と仁さんに質問した。
そしたら仁さん、
「母さん うつでもパンツミー
不登校でもパンツミー
って言って」
って。
私
「私が言うんですか」![]()
で、震える声でとりあえず言った。
その日は吉田奈々ちゃんがゲストで来ていて
奈々ちゃんは後ろで踊ってるし。
あ、でも奈々ちゃんは
「こっちにおいで」って呼んでくれて
「つらかったねーーー」
って抱きしめてくれて
仁さんは
「あーーー、俺にはそれ、できんわーーー」
って、ステージで転がってた。
あ、でも奈々ちゃん、離す前に耳元で
「もだえ苦しめーーー」って言って
まあそれは
そうやっていろいろ味わって生きていくもんだと
その前の奈々ちゃんのお話からくる言葉なんだけどね。
まあとにかく
それから
3月にマスターコース申し込んで
4月から10月まで
不登校の娘を置いて
東京まで
マスターコースと緩消法を習いに通った。
で
仁さんの教えのとおり、
娘には「好きなようにしろ」と言い
私も嫌いだった家事をほっぽり出して
マスター仲間とのやりとりが最優先事項みたいな日々を送った。
マスターに行く前は
福岡のシュタイナー学校に見学に行ったり
他の学校に行かせることばかり考えてた。
でも娘はどれもイヤだと言った。
4年生の半分は学校に行かなかったけど
私がマスターに通ってた5年生は
昼から行ったり休んだりを繰り返しながら
3月には朝から行くようになり
6年生になってからは
毎日フツーに通ってる。
娘に「好きにしろ」と言えたのは
毎日仁さんのブログや
心屋の教えに触れて
娘は可愛いし、賢いし
絵も上手だし
学校に行かなくても大丈夫だと思えたから。
女の子なので、嫁に行けば、なんとでもなるしね![]()
そして今も
娘がどのようになっても大丈夫と思える。
思うように、好きに生きたらいいと思う。
娘はきっと楽しい人生を送るだろう。
なので
ブログの不安障害の子も
お母さんが
この子は大丈夫
と思えるようになったら
きっと大丈夫になるんだと思う。
「だいじょうぶ」が、毎日学校に通えることとは限らないけれど。
なかなか難しいのは、ほんとによくわかる。
さらーーーと書いたけど
そうは言っても
毎日
朝から晩までパソコンに向かう娘を
それでいいと思うのは根性がいった。
「それでもだいじょうぶ」と
仁さんを信じて
かのんさんやのぞみんやともやんやようめいや
マスター仲間に支えられて
なので
一人で苦しんでないで
いろんな人を頼ってほしいなーーと思う。
とにかく
「だいじょうぶ」になる![]()
最後まで読んでくださってありがとう。
ひとりん with Love![]()
あーーーーー
ほんとにそう!!!!
夜明け前から
いいねボタンを10回くらい押したくなるくらい
激しく同意している
心屋リセットカウンセラーのひとりんです![]()
おはようございます。
『無条件の愛』を得るためにやってきた魂は、条件付きの愛の家庭に生まれて『無条件の愛』を得る旅に出かけます。条件付きの愛の家庭で生まれた貴方は、コントラストを経て『無条件の愛』を心の底から求めるようになります。そして『無条件の愛』のエネルギーを拾い集めて確認しつつ、貴方は『無条件の愛』そのものへと進化してゆく事になるというわけなのです。
一昨日のバシャールのお茶会でも
『無条件の愛』の話になりました。
バシャールが必ず言う言葉
「みなさんに無条件の愛を送ります」
私は、無条件の愛をずっと求めてたと
参加者の方に語りました。
私のお母さんは、7人兄弟の末っ子で
小1の時に終戦を迎え
中3の時に父親を亡くし
希望していた高校に行けず
なりたかった看護婦になれなかった。
そして結婚して36才の時に夫に先立たれ
2人の娘を抱え、必死で育てた。
口癖は
「手に職をつけんといけんよ。
お母さんを見てごらん。
こんなに苦労して」
姉は数学の先生になりたいと中学生の時から言ってて
なので姉は大学進学に賛成してもらって
同じ県の国立大学に入った。
そして私はこれになりたいというものも見つけられず
(金八先生とか大好きだったし
先生という職業に憧れてたけど
当時校内暴力全盛期で
友達は先生の悪口ばかり
先生というものはワリにあわないと思ってた)
「ひとみはなりたいものがないんじゃけえ
看護婦になって
お母さんの面倒を見ろ」
と言われ
私も高2まではそのつもりになってた。
けれど進学校で一生懸命勉強して、
先生の進学指導を受けてたら
いいところの大学をすごく勧められるようになり
だんだんその気になってきて
で、姉と同じ大学なら1年同居するだけなので
行かせてあげてもいい
そこがダメなら看護婦になれと
大学はそこ一本、
滑り止めは看護学校だった。
無事合格して
楽しい大学生活を送ったけれど
奨学金をもらって、授業料免除をもらい
家庭教師のアルバイトをして節約、節約とがんばり
で、就職先は
県北の田舎で仕事と言えば公務員か先生ぐらいしか
いい就職先はなくて
先生を選んだ。
(でもまあ、やっぱりなりたかったんだなぁ)
姉はずっと「おかあさんの面倒を見る」と言ってて
へそ曲がりのわたしは「見ない」と言ってて
それでおかあさんは姉の方を可愛いと思っていた(と私は思ってた)
だけど姉は大学時代の恋人とさっさと結婚して
四国に渡った。
私が中3の時
母は鬱病にかかって
自殺未遂を繰り返し
病院に入院して
高3の姉と2人で3か月暮らした。
なので、うちのお母さんは
ちゃんと面倒を見てあげないと病気になる人と思ってて
姉の結婚の時に、泣き続ける母に「私が面倒を見る」
と言ってしまった![]()
なので、
先生をやりながら婿をとって
お母さんと一緒に暮らすというミッションを
遂行すべく
そのつもりではいたけれど
そう上手くもいかず
やっと30台半ばで結婚しようとした時も
「お母さんを置いていくんか
○○(旧姓)の名前を無くして、お父さんに申し訳ないと
思わんのか」
とさんざん言われたけれど
「これで結婚せんかったら、たぶん一生結婚せんで。
それでいいん?」
と言うとさすがの母も黙って、
そうして結婚して広島にやってきた。
なので2年半前に母が鬱病を発症した時
私は罪悪感に打ちのめされ、
苦しみに苦しみぬいて心屋の門を叩いた。
で、こうして今、振り返ってみると
すべては
無条件の愛へと
至る道で
で
うちのお母さんは
不安がいっぱいの
甘えたがりの末っ子で
けれど
私と姉をすっごく愛してくれて
心配性で
いつも気にかけてくれて
産後はいっぱい手伝ってくれたし
いろんなことをしてくれた。
今も病院の中で
私や姉のことばかり心配している。
拗ねて
どうせ愛してくれてないんでしょ
期待に応えてないわたしが気に入らないんでしょ、と
受け取ってなかったのは私だった。
愛し、愛されて育ってきた。
条件つきと思っていた愛は
ホントは無条件だったのかもしれない。
認めてほしい、誉めてほしいと
思っていたけれど
そしてそれが叶わないと
悲しんでいたけれど
今、そういう気持ちからやっと解放されて
そして
私の、母への愛は無条件だったのかもしれないと
やっと気づいた。
あーーーーー
泣けるーーーーーー![]()
仁さーーーーん
ありがとーーーーーー。
マスター卒業して1年余り。
仁さんに、福岡のビートレに初めて会いに行って
質問して
「かあさん鬱でもパンツミー
不登校でもパンツミー」
って言えって言われて
目を白黒させてたのが2年前。
やっと悪夢から目が覚めたーーー
夜明けだーーーー
この前も参加者の方に
「夜明け前が一番暗い」
ってお話しした。
今朝も広島の夜明けは美しい
これは、この前の田んぼの近くの夕焼け
世界は美しい
この世界は
美しかったーーー
ひとりん with Love![]()