キャンセルカルチャーの始まりは?そしてそれは正しいのか? | Do More with Less

Do More with Less

好きな事=主張したい事を唯我独尊のスタンスで書いてます
クルマ、バイク、モーターレース、音楽、映画、本、社会に対して言いたい事、twitterでつぶやいた事のまとめ(キュレーション)など
メインタイトルは尊敬するCG創設者の故小林彰太郎さんの書から引用しました

ここ数年いわゆるキャンセルカルチャーというのが流行りである。いや本当に流行っている。だから誰もがやりたがる。

 

ところでこれっていつ頃から始まったのだろうか?多くの人はBLM運動(Black Live Maters つまり黒人の事をきちんと扱えというムーブメント)と考えるのだろうが、バブル世代前後以上ならもう一つ別の事が思い当たるはず。

 

それは1980年代にアメリカで行われたという不買運動である。日本では行われなかった。だから日本も真似するべきだと言われたのだ。

 

当時のアメリカでは何か問題が有ると、それも特にテレビ番組で問題が有ると、その番組のスポンサーとなっている企業の商品を買わないという運動をして企業に圧力をかけるというのが、まさにクールで正当な行為としてもてはやされていた。そしてそんな習慣の無い日本も見習うべきだと。

 

確かにそれは抗議手段としてはいいやり方だろう。しかし今ではそれが力を持つ様になった。まさにBLMのおかげ、BLMのせいである。するとどうだろうか?もしかして不買運動って卑怯な手段に成り果ててないか?

 

ちなみに不買運動を仕掛けた人やそれに乗じてソーシャルメディア上で拡散している人達が実際に不買かどうかはわからない。いやそれは大きな目で見れば、ロシアに対する経済制裁が実際には10%程度しか成されていない事と同値である。

 

ましてや最近はその企業の主要メンバーが過去にしてしまった失言などまで何でもかんでもキャンセルしようとする風潮さえ有る。果たしてこれは正しい事なのか?

 

線引きをどうするかは難しいが少なくとも言えるのは、キャンセルという形でその企業や個人の基本的な権利まで制限したら、それは悪である。果たしてそういう気概がキャンセルを主導する側に有るのだろうか?

 

先日の私のXのポストの発言で代用しよう。そういう人達は「モラルで他人を縛ることが得意なわりには、自らのモラルは崩壊している人たちの集まり」になってしまうのである。