【映画評】存在の耐えられない軽さ | Do More with Less

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メインタイトルは尊敬するCG創設者の故小林彰太郎さんの書から引用しました

この映画は実は公開された学生の頃以来ずっと気になっていたのにいまだ未視聴でした。昨秋には原作者のミラン・クンデラさんの訃報が伝えられたのでこの辺りで観る事が出来るかなと思っていました。

 

そしてこのところの映画視聴の中でアマゾンプライムでも対象にならず未視聴のままTSUTAYA DISCAS で借りようとしたら何と、双方でレンタルを終了してました。

 

権利の問題なのでしょうか?しかしそうだとしたらTSUTAYA DISCAS で借りる意味は無くなってしまいます。それとも単に不人気だから?もしかするとそうかもしれません。でもこんな有名な大作が?しかしもう40年も前の作品だから致し方ないのでしょうか?

 

それで仕方なく?中古のDVDを購入しました。結果は大正解でしたね。そのDVDの質が思ったより良かったのも有りますが、視聴後はすぐ売ろうという思いは吹き飛んで何回も観ようかなと思っている次第。特にせっかくなので次回は英語字幕でとか。

 

観始めると1960年代のチェコのプラハを舞台に、男女の絡みがとても官能的でいきなり惹かれました。いい意味でセクシー。あの時代の欧州映画は白人の美男美女ばかり登場するので、令和の今では不適切と表現されかねない古き良き時代なのでしょう。

 

しかしストーリーが中盤に入るとそんなのん気な事は言ってられなくなります。ソ連によるチェコスロバキア侵攻が始まるからです。

 

冷戦時代、東側に自由は無く西には有った。その西側に行って恋愛するってどういう事なのか?東の人間から見たらそれは「存在の耐えられない軽さ」だった。でも西側の人間はそんな事言われても全く感じられない。ここで言う東西は精神の東西も含んでという意味です。

 

この映画の舞台になった1960年代にしろ、実際に映画化された1980年代にしろそういう時代だったのです。だからこういう映画って私の様な世代には刺さります。

 

それにしてもこんな題材で小説を書くと、こういう結末しか考えられないのかというのに対しては何とも切なくなりました。