演出と嘘とテレビ番組 | Do More with Less

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メインタイトルは尊敬するCG創設者の故小林彰太郎さんの書から引用しました

最近検察捜査の不当性とか、足利事件の冤罪とか、あるいは大家族の人がテレビでやらせの被害を受けた話とかが、少なくともオレが見る web情報では流行である。


それに関してちょっと考えたというか、言いたくなってしまった事がある。たしかブログ開設初期にも書いた記憶があるが、アメブロのどうしようもない検索機能では探せないのでリンクはできない。


要はこれらの問題、当事者が立てたストーリーに対して、実際が異なっていた時にどういう行動を取るべきかがポイントだ。まず最初にこれが科学(自然科学でも社会科学でも同様)や論理学の世界だったらどうか?


まずは仮説を立てる。まあこれがストーリーである。そして仮説を検証するために調査、実験などを行う。その調査・実験の結果が出たらその内容を検証する。この時点で仮説と違う結果が出た場合どうするか?


まともな判断力がある人は、まずその実験や調査結果を疑い、ミスがなかったかどうかを確認する。それでも結論が出なければ再実験、再調査である。


その結果が仮説通りだとすれば、単純にミスだったのだろう。しかしまたしても1回目の調査と同じ結果だったらどうするか? 正常な神経の人ならその仮説が間違っていたのではないかと疑う。そして結果を説明できるように仮説を修正、あるいは変更して新たに検証に取り組む。


こういったプロセスを踏めば、やる人のスキルやその他でスピードに差は出るものの、最後には真実にたどり着けるはずである。


しかしどうやら人間、特に日本人には、一度立てた仮説を妙に曲げない、時には狂信的宗教の信徒の様にそれにこだわる傾向があり、それが否定される様な事象が現れても、無視したり、適当な理由をつけて否定したり、もっとひどいのになると実験や調査の結果をねつ造する。そうして不当な仮説を成立させる。


これだけ国際化の進んだ時代に、こういった論理検証スキルが欠けているのは、完全なマイナス材料だろう。しかしどうやら日本ではそんな事がまかり通っている。本当に韓国や中国どころか、北朝鮮さえも笑えない状況である。


こういう事って、冒頭に述べた検察や警察、マスコミ以外でも結構広く行われている様だ。実際ちょっとトホホな話だけど、オレの勤める会社でもよくある話。


さらに日常生活レベルに目を向ければ、例えばスポーツで何か思いがけない展開があると、これは”ドラマ”だとか言って感動する人がいる。オレはそんなの認めない。そこにあるのは現実のはず。でも実はスポーツの世界でされ、演出されたドラマのストーリーに沿った展開にならないと、怒り出す人がいる。


そしてそういった”ドラマ”に感動する風潮というのは、一見意外な展開を期待している様に見せかけて、実は最初から仕組まれた演出を要求している。そしてその要求に応じない人にはこれでもかというくらいの非難が浴びせられる。もうすぐ冬季五輪だが、今回もこういった事は起こるだろう。


そういうテレビ番組の中でしか有り得ない様な演出と嘘にまみれた世界って、オレにとっては住みにくくてしょうがなく、こうしてブログで発散してしまうのだ。