自分の心と身体に尋ねる習慣を | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

現代社会は急速なネットの発達により世界中の情報を

誰もが瞬時に手に入れられる時代と成りました。

かつて何かを学んだり知る為にはテレビや新聞更には

学校と言った教育機関から与えられるがままに知識を

増していたのですが今や自らが欲する情報は自分自身で

世界中から簡単に知る事が出来る様に成りました。

 

社交ダンスの世界も著しく進化を遂げ世界中の素晴らしい

踊り手達の音楽表現を居ながらにして見る事が出来るだけ

でなくネットを通じて社交ダンスを踊る為のハウツーも

簡単に学ぶ事も出来る様に成りました。

その為踊り手達の知識はかつては考えられな程豊かに成り

様々な魅力的で美しい音楽表現を演ずる方が多くなりました。

デモンストレーションを見ても競技会を見ても其の華やかさは

一段と増す事と成りました。

 

しかしながら非常に高度で美しい踊りを踊っていても思った程

心が高鳴る事が少なく単に一過性の踊りを見ている様な踊りが

多くなった様にも思えます。

振り付けも衣装も目を見張る程ではあるものの見る側の心を

虜にしてしまう程では有りません。

最近の踊りを見ると良く感じる事ですが非常にインパクトが強く

印象的な音楽表現は増えたもののペアとしての感情が伝わらず

テクニックや演技構成の手腕を感じる場合が多いです。

 

その為ペアの頭を挿げ替えれば誰が踊っても同じ印象で有り

高度な運動表現をしているのは解りますがペアが創り出した

音楽表現とは程遠い様に感じてしまいます。

その一方でまだエキスパートの様に演じられない踊り手の中に

技術的にはまだ至らなくとも目が離せない踊り終わるまでに

ファンと成ってしまうペアが居ます。

フィガーもルーティンもそれ程難しくないもののその表現には

二人が創り出した感情が現れていて社交ダンスの踊りと言うより

二人の感情表現を見ている印象が強いです。

 

かつてまだ社交ダンスが今ほど華やかに踊られていない頃

この様なテクニックや音楽表現は未熟なものの見ている人を

虜にしてしまう踊り手が少なく有りませんでした。

印象としては音楽表現よりもペアの人として魅力が溢れている

踊り手が目に付いたものです。

現代の踊り手達の印象は素晴らしいテクニックと運動表現には

驚かされる事が多いのですがそれを演じている踊り手が見えなく

成っているのが残念です。

 

身に付けた素晴らしい音楽表現は印象的なのですが踊り手自身の

人としての魅力が隠れてしまっている様に感じてしまいます。

覚えたフィガーやルーティンを間違いなく再現しているのですが

それは記憶が優先し踊り手がお相手と音楽から感じている思いが

薄れている様に覆います。

より高度なテクニックや運動表現を身に付ける事を求めるかと

思いますが身に付けた社交ダンスのアイテムが自身の表現として

踊られている事が重要です。

 

その為には覚えたフィガーやルーティンを実際に踊る時に自身が

どの様に感じているかを自らに問う事です。

先生から習った事だからテキストに載っている事だから正しいと

鵜呑みにしないで常に自分の気持ちを確かめる事が大切です。

例え正しいとして習った事でもそのまま記憶のままに使うと

違和感を生じたり音楽表現が単なる記憶の再現と成ってしまい

魅力の無い踊りと成ってしまいます。

 

誰しも同じ心と身体を持っていないと言う事は自分の感じ方は

他の人とは違っていて自分の思いが自分にとって最も相応しい

運動表現を生み出して生活しているからです。

社交ダンスの踊り方と言うのはあくまで多くの人に伝える為の

方法で有ってそのまま自分やお相手に適用する事は思い通りの

楽しい社交ダンスを踊る事を阻んでしまいます。

常に自分はどの様に感じているか踊っているその時のお相手や

音楽を新鮮に感じる事が非常に重要です。

音楽表現と言うのは社交ダンスのフィガーやルーティンを使って

ペアとしての心を表す事です。

自分の思いを大切に記憶だけでなく常に新鮮な感情感動を得る事

それが社交ダンスのみならず生活を豊かに楽しくする事に

繋がって行くと思われます。