社交ダンスを演ずるには踊り手が持つ個性を如何に生かすかが
鍵と成って来ます。
豊かな表現を行うには手足を大きく広げ全身でアピールする事が
求められます。其々が持つ体格や運動機能が大きく影響しますが
手足が長く体格も大きくとも実際に演技しているのを見ると
身体に対して表現が小さく見える踊り手が目に付きます。
確かに伸ばす手足は他のペアに比べて遥かに長いと思えるペアで
有ったとしても踊り出すと音楽表現が小さく更には重く見えて
しまう場合がります。
上腕を使った表現や手足の動きは部分的に見れば目立ちますが
音楽表現としてはその長さがかえって不自然に見えてしまい
流れる音楽との違和感を感じてしまいます。
踊り手は自分がイメージした広がりの有る上体や大きな歩幅で
踊っているのでしょうが外見的には身体の中心の移動量が小さく
目立った部分が動いている時他の身体の部分が止まってしまい
スピーディな音楽表現とは成っていません。
その一方ペアとしては小柄で有りながら踊り出すと途端に
見ている人の視線を釘付けにし大きな音楽表現を行っている
魅力に満ちた踊り手もいます。
私達は社交ダンスや他のスポーツにおいても理想的と言える
体格を思い描く事は出来ますが実際は殆どの方は様々な個性で
自分の思い描くようなボディを持つ事は出来ません。
全ての要素を兼ね備えたペアと言うのは皆無と言ってもよく
その多くが何だかの不利な条件を持ち与えられた自分の姿に
少なからず不満を感じていると言えます。
しかしながら多くの人の注目を浴びるトップクラスの踊り手と
成って来るとその誰もが素晴らしい才能と魅力的なボディを
持ち合わせている様に思えます。
その為自分の能力と照らし合わせその歴然とした差に愕然とし
踊る意欲を失ってしまう事も有ります。
特に世界的な踊り手と成ると彼らは異次元の踊り手であって
自分達とは違う世界の人間だとすら思ってしまいます。
一生懸命努力して少しでも近づけたらと誰しも思いますが
自分の才能の無さに頑張る意欲すら失う事も有ります。
所がこういった誰もが憧れる存在となった踊り手の多くが
同じ様に苦しんだ時代が有り有名になった後もいまだに
自分の身体に不満を感じ至らなさを強く感じ続けている事も
有るのです。
最初から素晴らしい運動能力と音楽性を持ち誰もが羨む様な
ボディを持っていた踊り手はほとんどいないのです。
むしろ様々なハンディを乗り越えた結果で有る事が多いのです。
彼らに共通するのは自分の与えられた心と身体を信じ続け
如何に表現したら良いかを常に考え続けて来たことです。
自分と他人は全く違う心と身体の持ち主で有って如何に自分の
持つ個性を高めるかに努力しているのです。
世界のトップクラスお踊り手の中には日本人より遥かに体格に
優れ無いものの誰もの心を掴み続けている踊り手もいます。
その豊かな音楽表現は他のペアの運動表現を真似ると言うより
自分の持っている身体の個性を如何に生かすかを考えたものと
言えるのです。
大きな踊りをする時も手足を大きく広げると言うのではなく
重心移動をしっかりと行いながら脊椎を中心に四肢をしっかり
アゲインストに広げる物であり視覚的に広がっていく方向と
真反対の方向に運動を作っています。
多くの踊り手の勘違いするところは手足の広がっていく方向に
自分の意識を向けその動きをコントロールする脊椎を中心とした
アゲインストの運動を行っていない事です。
具体的言えば右腕を大きく広げる時は左腕はそれにふさわしい力
をもって反対方向に運動を行う事です。
常に脊椎を中心とした左右のボディが引き合う事でバランスが
生まれるだけでなく身体の中心が保たれトップがブレない事で
様々な方向に重心を自由に動かす事が出来ます。
見た様に踊ってはいけないと言うのはこの印象的な動きとは
違った反対方向の運動を使っていない事が多いからです。
正しい美しい立ち姿の中の運動は常に反対方向の筋肉運動で
創られている事に因ります。
視覚的に感じられる運動表現と反対に印象に残らない運動表現が
体の中に在る事を知る事がとても大切です。