涙が出る程豊かな表現に出会う事、涙が出る程の心の高まりで踊れる事 | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

一体どうやったら思うがままに楽しく踊れるのだろうかと

思うのが踊り手達の常と思われます。

出来るだけ多くの知識を習得し様々な運動表現を身に付ければ

納得できる踊りが出来るのか答えに行き着くのは難しいです。

練習を重ねる事で苦しみや挫折を乗り越えやがて訪れると

信じたい至福の時を目指して日々頑張っている方も多いかと

思われます。

 

またその一方心が赴くままにステップを踏み気が置けない

人達と社交ダンスを通じて音楽を楽しむ方々もいると

思われます。

上手く踊れる事も踊れない事もその全てが社交ダンスとして

心を楽しませるのですが踊る事の最高の喜びに出会う事は

稀と言えます。

それは社交ダンスの喜びは人其々でありその感情は個人の

心から生まれているからです。

 

例え誰かが素晴らしさを強調したとしてもそれは自分以外の

他人の感情で有り多くの人が賛同していると言うだけなのです。

本当の意味の自分の心を満足させる踊りは他の人と共有するもの

ではなく極めて個人的な思いが満たされる事に有ります。

その為滅多にその感情を抱く事は難しく多くの場合誰しも

共通の喜びを自分の思いとして位置付ける事に成って

しまうのです。

 

しかしながら自分の心が誰の感情でもなく本当に溢れる思いで

揺さぶられた時この世に存在する意味と喜びを感じるものです。

豊かな感情は突然心から湧き上がってくるものでは無く心を

動かす何かによって生まれて来ます。

社交ダンスの様に芸術的スポーツは素晴らしい音楽表現に出会い

無条件でその感動が心を揺さぶる時に心に強い感動を得られます。

それまで得ていた知識や多くの音楽表現が全て消し去り感動の

極まりに心が震えます。

 

熱き思いが沸き上がり如何に踊るべきかの答えが身体を駆け巡り

音楽が全身を包みます。

単なる説明でとても理解できない素晴らしい感動が自らの手足を

自然に動かし全身の筋肉が感情を音楽表現として伝えます。

自分が感じた素晴らしい音楽表現が自らの身体を反射的に

演じさせ抑えきれない程の感情の高まりが沸き上がります。

 

音楽表現を学び演ずると言うのではなく音楽表現をいか行うかは

自分の身体が自然に決めてくれるのです。

どの様に演ずるかと言うのではなくどの様に演じたいかを自らの

感情が作り出してくれるのを感じる事が出来ます。

高度なテクニックや運動表現で無くとも心が強く感じらえると

思いが今の身体を芸術的に魅力的に表現する様に成るのです。

 

どれ程素晴らしい踊り方で有ってもそれは一つのお手本で有り

自らがそのまま身に付け表現する事ではありません。

その素晴らしい音楽表現を深く感じ自分の心が反応して新たに

別の個性として演じられる様に成る事が大切です。

様々な感情を抱くためには心はいつもこだわりのない無垢な

状態であることが望ましく例え多くの知識が有ってもどれもが

強調される事なくどんな感動にも素直に適切に感じる事が

重要と言えます。

 

心揺さぶる音楽表現を目の当たりにすると自らの心が反応し

新たなる感情が生まれます。このとき初めてオリジナルの

音楽表現が生まれるのです。

芸術家は常に子供の様な感情を持つと言われます。

社交ダンスを踊る時も自分の音楽表現は涙が出る程の

心の高まりから生まれてこそ人の心を揺さぶります。

 

素晴らしいテクニックや音楽表現を多く学ぶ事で本当の

ペアとしての感情表現を失っている事が少なくありません。

素晴らしい感情表現の様に見えて心は極めて冷静に

美しく見せる為のテクニックとして演じている方も多く

一過性の踊りとしては素晴らしくとも見ている人の心に

長く感動の記録として残る事は少ないのです。

 

どんなに素晴らしくともまるでテレビのチャンネルを

換える様に簡単に他の踊り手に目移りしてしまう事も

本当のペアとしての踊りでない事を示しています。

日常生活に於いてもメディアから紹介される様々な情報を

そのまま鵜のみとして自分の知識や運動表現としている

環境や流行に流されているだけの方も多くなりました。

自分のする事すべてが誰かの請負で有ったり日々流れて来る

メディアからの知識である事が心の躍動を失わせる原因

ともなっています。

 

社交ダンスが上手に踊れる様に成っても美しく演じようも

何の魅力もないペアが多くなりました。

踊りにフィガーやルーティンは感じるものの踊り手の

躍動する心が感じられないペアが目立ちます。

踊る事の目的や価値観が自分自身の心を本当に満足させて

いるのかをもう一度考える事が必要です。

踊る事生きる事の喜びを感じる日々を送りたいものです。