社交ダンスを踊っている方々を見るとその多くが特殊な
音楽表現を行っている様に感じます。私達が日常的に
感じる運動表現とは異質な物の様にさえ思えて
一般の方からすると非常に馴染みのない別世界の踊り
の様にすら思えてしまいます。
その為社交ダンスを踊る人たちを見る目は好意的と
言うよりも出来たら関わりたくないとすら思っている
人々もいるのです。
しかしながらそんな否定的な考えを持った方々でさえ
本当に素晴らしいエキスパートの踊りを見ると心打たれ
その目は好奇心と喜びで満ち溢れる事も有るのです。
とは言え何故多くの方の踊りは特殊に感じたり
余り好意的に見られていないかは社交ダンスの踊り
と言うより社交ダンスの踊り方の説明に成っている
事が多いからと言えます。
その為流れている音楽を感じる事もなくただ記憶の糸を
手繰っているだけで有り踊り手の心を感じられない事が
大きな原因と言えます。
社交ダンスには沢山のフィガーが有り多くの種目が有り
演じ方も様々である事も有りそれらを間違わない様に
表現する事が最優先と成っている事が多いのです。
つまり音楽表現をしているはずなのに踊り方の説明
と成っていて踊り手の思いが感じられないのです。
日本人が英語を話す時先ず構文を組み立て使われる
単語を間違いなく使う事に神経が注がれその時の
お相手や状況を全く考えていない事が多いのと似て
いるのです。
観た物感じた事がそのまま頭の中の具体的映像として
言葉に変わる事がとても大事なのですが社交ダンスも
覚えたフィガーや運動表現を間違いなく再現する事に
終始している踊り手がとても多いのです。
新たに覚える時はフィガーやルーティンを確実に
身に付ける事が重要ですがそこから先に進んでいない
多くの踊り手が目に付きます。
つまり覚えたテクニックや運動表現が瞬時にその時
感じた音楽とお相手との音楽表現に変わる事が大切です。
覚えた通り間違いなく踊ると言うのではなく自分の感性で
演じたら音楽表現が目的のフィガーやルーティンに成って
自然に音楽表現と成るのが大切です。
音楽とお相手をしっかりと感じなければ上手く踊れない
理由がここに有ります。目に見えない音楽がお相手の
運動表現によって形あるものに変わるのを感じる事で
ペアとしてのイメージを創り出す事が出来るのです。
フィガーと言うよりも演じた様が自分の踊り方と成り
音楽を聴きお相手とコンタクトした途端自らの身体が
反射的に音楽表現を生み出す事が大切です。
例え何をしているのか自分では分かっていてもペアとして
自然な音楽表現を感じられないと見ている人達には何の
魅力も感じられないのです。
踊っている時は自分たちだけが演じていると言うのでなく
観ている人達も踊り手を通じて音楽をイメージしています。
踊り手の美しい音楽表現がその時流れる音楽とマッチし
観ている人の心を掴むのです。
社交ダンスとしての技術や運動表現はシッカリと覚え
フィガーもルーティンも間違わないで演じられる事は
とても大切ですが自分の記憶の再現ではお相手にとっても
観ている人からしても不自然な踊りと成ってしまいます。
身に付けた多くの知識が音楽とお相手そして周囲の環境に
如何に反応出来最も的確な音楽表現に変えられるかが
本当に上手に踊る為に必要です。
出来るだけ簡単なフィガーやルーティンで感情豊かな
ペアとしての音楽表現を練習する事が重要です。
どれだけ流れる音楽を感じお相手と繋がりを持った
表現に出来るかが大切です。
音楽を感じる力お相手の心と身体を感じる力を常に
養う努力が必要です。
社交ダンスの練習だけでなく普段の生活に於いても
心と身体が躍動できる様々な事にチャレンジするが
大切です。