社交ダンスが上手に踊れる事とは、社交ダンスのテクニックや
運動表現を覚え、多くのフィガーを身に付け習った通り
正確に演ずる事と思っている方が多い様ですが、例え完璧に
社交ダンスを踊る為のアイテムを身に付けても、お相手や
見ている人にとっては全く魅力的な踊りに感じられず
お相手にとってはむしろ踊り難さだけが先行する、余り
一緒に踊っていたいとは思えない踊り手と成っている場合も
あるのです。
現代社会はネットの発達も有り、社交ダンスのみならず
あらゆる習い事を学ぶ事が出来る事から、いながらにして
世界中のエキスパートの技術を学び膨大なる情報を手に入れ
如何に踊れば良いかを知っている踊り手が増えています。
その為、多くの踊り手は教師に付いて習うだけでなく、
みずから数多くのフィガーや運動表現を身に付ける事で
より豊かな運動表現を身に付ける様に成りました。
しかしながら競技会やデモンストレーションダンスを見ても
外見的に華やかで力強い運動表現を行なうペアは多いものの
あまり感動的な印象に残る踊り手は少なく成りました。
踊っているステップや運動表現は年々華やかに複雑に成って
社交ダンスと言うよりショウダンスとして豪華さを増して
いるのですが、やはりあまり心を動かす様なペアの踊りとは
感じられない場合が多いのです。
まるで、ディズニーランドのエレクトリックパレードを
見ている様で一過性の華やかさしか印象に残りません。
この事は衣装を着た競技会や発表会、更にはプロの踊り手の
デモンストレーションに於いても同じような物足りなさが
感じられます。
一体何を表現しようとしているのか、ステップやフィガー
そして華やかなルーティンを見せようとしているのか、
ペアの頭を挿げ替えれば誰でも良い様にすら感じます。
素晴らしいテクニックや運動表現は何の為に身に付けたのか
もう一度考える事が必要と思われます。
一番の問題はその時流れる音楽がペアの踊りから感じられず
使われているフィガーやテクニックだけが前面に押し出され
演じている二人の思いや流れる音楽の素晴らしさが感じられず
お相手にも見ている人にもその素晴らしさが伝わっていません。
踊る時は持っているフィガーや運動表現を使ってその時流れる
音楽の素晴らしさ、そして目の前のお相手の魅力を表現する事
そして如何に互いにお相手の事を思いリード&フォローを
行なっているかが重要です。
習った通りの運動表現をすれば外見的には美しく見えるかも
知れませんが、その運動表現がお相手にとって気持ちの良い
身体の繋がりを生んでいなければ成りません。
そして自らもシッカリと音楽を聴きそのイメージを豊かに
育てながらお相手に伝えなければ成りません。
自分はどの様に感じて踊っているかを直接お相手と話す事は
ペアとして上達する為にはとても大切なのですが、
交わされる言葉は踊る為のテクニックや運動表現のハウツー
である事が殆どと言えます。
自分が思っている感情とお相手は違っている事、更には
見ている人と踊り手が如何に思いが異なっているかを
しっかりと理解しないと本当に自分の学んだ技術や表現が
的を得る事は出来ません。
踊っている時のコンタクト面を通した互いの心のやり取りが
自分達が身に付けた社交ダンスの技術や運動表現を本当に
生きた音楽表現に変えるのです。
日常的に身の回りの事や周囲の人々、動物、自然に
心が素直に反応し、自らの生きて行く為のセンスを育て
日々新鮮な感覚を磨く事が大切です。
自分の心や行動、そして音楽表現は自らの努力も有りますが
周りの環境から育てられる事を知りましょう。