社交ダンスに限らず現代社会のトレンドは最初から
誰かによって決められ人々はそれに従って生きています。
様々な価値観もメディアにより決定され、多くの人は
自分の考えというよりただ与えられた情報に従って
生きているのが現状です。
社交ダンスに於いてもトップクラスの踊り手による
音楽表現が基準に成って誰もがその踊りが自らが求める
正解と信じて疑わず日々の練習を重ねています。
戦後の社交ダンスが最も盛んであった頃には
世界チャンピオンが変わった途端、すべての踊り方が
変わってしまい多くの踊り手が昨日迄の踊り方一変させ
出来るだけ早く新しい踊りに変える事に苦労しました。
もちろん基本的な運動表現は同じなのですが、新たに
王座に輝いたペアはそれまでのチャンピオンとは全く
異なった音楽表現をすることでその座を得たため
世界中の踊り手、特に競技選手はそれまでしっかりと
覚えた前チャンピオンの踊りを変えるのが大変でした。
常に見た目の表現を真似て踊っていた日本の踊り手達は
常に流行に翻弄されいつも自分の踊りを創り出すことが
出来ず、いかにうまくチャンピオンの踊り方を真似るかが
踊り手の価値と成っていたのです。
当時世界チャンピオンで有った英国のグリーブ夫妻の
レッスンを何度も受けましたが、どんなに上手に
真似をしても渋い顔をされる事が多かったのを思い出し
ます。
大好きな踊り手でしたから自分の持つルーティンの
多くが彼らのルーティンを真似た物でした。
しかし上手く踊れたと思うといつも何故自分の踊りを
しないのかと叱られました。
出来るだけチャンピオンの踊りに似せる事が当時の
日本のダンサーのトレンドだったから彼らに寄せた
踊りをする事がよい成績を得る方法でもありました。
しかし、実際にレッスンを受けると、同じような演技を
すればする程嫌な顔をされました。
また、パートナーと踊る時もルーティンを間違いなく
習った様に踊ると突然踊りを止められ、何故自分と
踊ってくれないのかと言われたものでした。
今になって思うと、彼らはテクニックや運動表現の
悪さをたしなめたと言うより私自身が感じて生み出した
音楽表現をしていない事に不満を漏らしていたのです。
この事は現代にいても同じような問題が多く見られ
アマチュア、プロに関わらずただステップやルーティンを
真似し再現する事を良しとする踊り手達への警鐘とも
言えるのです。
同じフィガーやルーティンであっても踊るペアが変われば
踊るお相手が変われば全く違った音楽表現に成る事が
大切なのです。
同じ踊り方を誰にでも当てはめるのは社交ダンスでは
有りません。
例えいつもペアを組んでいるお相手と踊っていても
私達は生き物であり、日々心も身体も変わっているのです。
常にお相手の変化を感じ取り音楽と環境に瞬時に反応し
その時最も適切な運動表現が出来る事がベストダンサーと
言えるのです。
与えられたステップやルーティンをただ記憶して再現
しているようでは本当にペアとして楽しい社交ダンスは
踊れません。
もっと心に躍動感のある踊りを目指しましょう。
豊かな感情は自分達だけでなく見ている人達をも
楽しく幸せにするものです。