戦後高度成長を遂げた日本社会は世界でも有数の近代国家を
築き上げ、自由と平和が保障された福祉国家として成長して
来ました。
世界の多くの国々は未だ争いが絶えなかったり日々の生活すら
儘ならない中で、日本社会は世界中の人々から憧れられ称賛
されるまでに成っています。
しかしながら現実はどうかと言えば、本当に思うが儘の生活が
出来ているのはほんの一部の人達で有って、殆どの国民は
日々の生活に追われ、明日への不安を抱えているのが現状です。
確かに、発展途上国に比べれば飽食日本と言われる程豊かな
食生活を送れてはいるのですが、衣食住の豊かさに対して
人々の心は満たされず常に不安に駆られているのが事実です。
中でも同じ日本人同士の信頼関係や絆に生活が豊かに成るものの
様々な歪や溝が生じていて、特に世代間の断絶、親子の断絶と
同じ環境に生活する者同士であっても互いに気まずさや違和感を
感じている人々がとても多いです。
生活が豊かになるにつれて問題視されて来た事でも有りますが、
未だ解決までは至らず、対人関係の希薄さを経済的豊かさで
誤魔化しているのが現実とも言えます。
親子間においても、同じ屋根の下に住んでいたとしても互いに
心が触れ合うこと無く、まるで共同生活をしているシェアハウス
の様な家庭が少なく有りません。
特に子供と高齢者は益々繋がりが薄れ、福祉国家としての
社会的なケアと同じく子供達も高齢者に対するハウツーは
習っていても心から気持ちを察するまでには至りません。
誰もが互いに触れ合う事をしない事で、例え親しい仲で有っても
常に他人行儀である事も多く、また勝手な推測によって心を
傷つけ合ってしまっている事も少なく有りません。
今やコロナ禍の社会に在って、如何に互いに接触しないで生活
するかと言う事に世の中が傾いている事もあり、ますます
対人関係が希薄と成りつつあります。
知識や理論で当たり障りのない生活を続けているだけでは
人間として本当の気持ちのやり取りが出来ず、単なる思い込みの
行動や言動がお相手の心を傷つけたり悲しませたりしている事が
あるのです。
私達が愛する社交ダンスに於いても同じような問題があり
多くの知識やステップ、テクニックを使う事が楽しく上手な踊りが
出来る方法と考え、目のまえのお相手の心と身体を感じる事無く
ハラスメントの様な踊り方をしている方を見かけます。
その多くがリーダー的存在で有ったりグループで上手と目される
踊り手であったりする事が残念です。
ステップやテクニックはお相手を楽しませるために有るのであって
自分の勝手な考えを押し付ける為の道具では有りません。
同じステップ、ルーティンであっても、お相手によって様々に
変化させ使い分け、お相手にとって最も相応しい音楽表現に
しなければ社交ダンスとは言えないのです。
日本社会に於ける老人福祉は高齢者社会に在ってビッグビジネス
とも言えますが、直接ケアするのは人間であり目の前の高齢者と
如何に最も適切なケアが出来るかが重要です。
社交ダンスであろうと老人介護で有ろうと、はたまた家庭生活で
あろうと、常に互いのその時のお相手の思いを察する事が
大切です。
社交ダンスは今や風前の灯です。例え部屋を消毒して手を
アルコールで清めても互いにお相手の心と身体を感じなければ
ソーシャルディスタンスの他人同志と何だ変わりません。
コロナさえなければと言いたいところですが、誰とでも自由に
コンタクト出来た時ですらソーシャルディスタンスの状態で
互いに自分の事だけを考えていた頃と今がどれだけ違うか
根本の問題が解決されなければ、本当に心から楽しめる
思うが儘に踊れる時代は遠いと言えます。