社交ダンスが上手に成ると言う事は、沢山のステップや
テクニックを覚え、習った様に外見的に美しく演ずる事が
出来る様に成る事と思っている方が少なく有りませんが、
キャリアが有り周囲から称賛されるような踊りが出来たり
プロとして様々な音楽表現が出来る様に成れば、さぞや
自分自身も満足の於ける踊りが出来ていると自負している
のではと思われがちですが、多くのエキスパートの悩みに
沢山のステップや運動表現が出来ても心から満足できず
常に悩んでいる踊り手も多いのです。
誰が見ても魅力的で美しい踊りが出来るのに、一体何が
不満なのかと思うかもしれませんが、たとえ、社交ダンスの
全てのアイテムが身に付き、思い通り演ずる事が出来ても
自分自身の心が晴れない事も有るのです。
これは、社交ダンスに限らず、自らの言葉や運動表現で
意志表示を行う俳優業のベテランの方々にも有る共通の悩み
とも言えます。
例え社会的に知名度が高く、多くのファンを持っていたとしても
自分の演技や言動に心から自信を持つことが出来ないのです。
贅沢な悩みなのかもしれませんが、その道のエキスパートは
多くの知識があるが故に、自分の価値をそれら身に付けた
テクニックや知識で表現している事が多く、本当に自分自身が
感じて創り上げたものでないと思う事が有るのです。
かつて、有名な俳優さんと親しく成りその演技の素晴らしさを
称賛した事が有りましたが、彼は、自分の演技にいつも
心から満足が出来ず、本当の演技で無い事を訴えました。
つまり台詞も演技も完璧に出来たとしても、それは台本の上の
テクニックであり既に作られた感情表現だからと言います。
どれほど激しいアクションをしても激しく感情を露わにしても
それは作られたもので有り、本当の自分の心からの表現でなく
常に別の人格の産物だと言います。
それでも俳優としての名演技に私たち庶民は感動するのですが
彼の悩みは、仕事の時だけでなく日常の動作行動までが
それまで自分が覚えて来た所作の延長で演じてしまうという
思ってもみない答えでした。
自分の親しい人や家族に対しても、素直な自分の気持ちを
表す事が出来ず、後で考えるとその行動や言動の全てが
かつての仕事の一場面に当てはまると言うのです。
素晴らしい演技を身に付けたのに、本当の自分の感情表現や
言葉を失ってしまったと言います。
この事は、決して特殊な事では無く、社交ダンスを上手に踊れると
自負している人達も、本当の自分の感情表現を見失っている
可能性があるのです。
美しく見える表現法や表情を覚える事に依って、自分の思いや
創造力を失しなって唯の記憶表現と成っている場合があるのです。
その時本当に自分が感じた事を無視して記憶の中の感情表現で
自分の意志表示をすると言う事は、見ている人にとっては、
誰にでも感動を与えられるかも知れませんが、自分自身の感性は
全く育たず、本当の自分の心が成長しなくなってしまうのです。
運動表現が説明文を読んでいる様なもので、その中に自分の
本当の思いは無く、テクニックとしての外見的な美しさしか
有りません。
社交ダンスのみならず現代社会に生きる私達は、本当の自分の
感覚や思いで生きていない事がとても多いのです。
メディアや流行、社会常識で定められた事を自分の行動や
考えとしてそのまま受け入れる事で、便利で豊かな生活を
送れたとしても本当の自分の心は成長する事無く、
常に周囲の考えや流行に簡単に左右され一喜一憂する
毎日なのです。
その為、人の価値は社会的な地位や名誉、そして多くの知識を
持っている人に在ると考えがちで、常に自分の考えや行動に
自信が持てません。
簡単に人の考えに動かされたり利用されたりしがちです。
私達は何故唯一無二の存在であり誰もが尊い存在と
されるのでしょう。
それは個としての誰にも何にも左右されない心を持つ
からなのです。
簡単に心が揺らいだり人の言い成りに成ってしまう様では、
人としての価値は高まらないのです。
誰もが異なった個性を持って生きているからこそ、互いに認め合い
助け合って素晴らしい未来を築けるのです。
社交ダンスを踊る時も社会生活をする時も、お互いの違いを
しっかりと見極め理解する事で互いに成長する事が出来るのです。
本当に素晴らしい踊りは、目の前のお相手を心から愛し認め
互いの個性が豊かに演じられる様助け合っている姿が
音楽表現として見ている人達に伝わった時生まれます。
音楽とお相手を心から感じる為には、自らの思いを大切に
自信を持って表現する事です。
そして自分とは違う考えや表現を受け止められる力を持つ事です。
社交ダンスを踊る事で、一体何を求めているのかをしっかりと
見極める事が大切で有り、どうしたら互いの心と身体が成長し
心からの満足が得られるかを考える事が大切です。