一人で音楽表現をする踊りの場合は、自分自身の知識と
感性がとても重要と成ってい来ますが、社交ダンスの場合は
自分の音楽表現の理由がお相手と音楽に在り、如何に的確に
正しく情報を得られるかが良いパフォーマンスを生み出せるか
どうかを決めます。
どんなに素晴らしい音楽表現が出来ても、有り余る知識が有っても
目の前のお相手とその時流れている音楽によって、反射的に
最も的確でお相手も見ている人も満足させられる運動表現に
変えられる事がとても大切です。
自分がいつも踊っているパートナーと踊る時と同じ演じ方で
対処すれば、それはもはや我儘なパワステに過ぎず、
コンタクト面は互いの違和感で硬直してしまいます。
上手く踊れない方々のコンタクト面が硬く緊張しているのは
技術が足りないと言う事以上に、互いに自分の考え方でホールドを
作り出し、自分の頭の中だけの記憶再現をしているからなのです。
自分の考えだけを主張して踊れば、当然ホールドは崩れたり
硬直するのは当たり前のことで有り、それを力を持って最初から
形作って我慢しながら踊る踊りはもはや社交ダンスでは有りません。
更には、教える立場の人がホールドの意味や男女の関わり合いの
説明が出来ず、単なる外見的な姿のみを主張し踊らせようと
する事で、習う側の立場の方々は幾ら頑張っても楽しくは
踊れないのです。
踊る時にホールドの固定を教えるのは、半世紀前の踊り方です。
わざわざ苦しむ様な踊り方や自分の事しか考えられない様な
レッスンをいくら行っても時間やお金の無駄に他なりません。
コンタクト面はお相手に快感は与えても苦痛を与えては
成りません。
私達は互いに寄り添い近接する事で互いの心を深く理解し
友情や愛情を育て、更には文化を発展させて来ました。
互いの気持ちを知る為に近づき触れ合って来たのです。
この一番大切な行為を否定されているのが現実世界なのです。
これ程までに人間の基本的幸せと友好性を否定された事は
今までに有りませんでした。
全ての人類が、人としての一番大切な行為を失っているのです。
何でも手に入る便利な世界とは言え、そのベースと成っているのは
人と人との心の繋がりであり信頼です。
ただ便利だから仕事がしやすいから人々が集まっているのではない
と言う事を次第に思い知らされて来たのが今回の惨禍です。
互いの心と身体の理解から生まれる信頼と愛情は、生きて行く上で
最も大切な事で有り、その喜びを得る為に様々な環境が整備され
文明や文化が発展して来たと言えます。
社交ダンスを踊る時も、数多くのステップやテクニックが有りますが
それらをしっかりと記憶して美しく見える様に使う事が目的ではなく
多くの社交ダンスのフィガーや運動表現を使って、その時流れている
音楽の素晴らしさ、そして目の前の素敵なお相手との関わり合いを
豊かに表現する事が本当の社交ダンスの目的なのです。
身体をコンタクトしたり手をしっかりと握り合って踊っていても
その行為を見せるのではなく、何故そのような踊り方をするのかの
本当の意味が解っていないと、いつまで経っても満足できない
お互いに愛情の湧かない踊りと成ってしまうのです。
身体を接触させて踊るのが社交ダンスの踊り方なのではなく
お相手を知ろうとお互いの機能と運動表現を正しくすると
ひとりでに近接し言葉を交わす様に触れ合えるのです。
互いに抱かれる様に吸い込まれる様に身体が触れる体験が
踊っている時出来る事が大切です。
外見的な説明を自分の身体に科せると、その事に気持ちが
偏ってしまい、音楽もお相手も見えなくなっていしまいます。
何故毎日食事をするのと言われたら、口から食べ物を入れて
エネルギーとする為に行っていると言えば説明に成りますが
そんな気持ちで様々な食品を食べていないはずです。
ただ、心から食べたいと思うから、自然に手に取り口に入れ
満足しているのです。食べている行為を見せる為では
有りません。
社交ダンスも、男女が音楽を楽しみながらお互いの身体が
心の思いに反射的に動くから外見的に楽しさや美しさが生れ
同じように誰もが感じるから見ていても楽しいのです。
見たような姿や数々のフィガーの種類を見せる事を目的として
踊っていると直ぐにその行為に飽きてしまい、次から次に
ルーティンを追っかけるつまらない踊り手に成ってしまいます。
社交ダンスも普段の私達の生活も、本当は何のために行って
いるのかをしっかりと理解する時なのかも知れません。
老いも若きも、貧乏人も金持ちも一様に苦しみ悩む今の惨禍は
私達人類に人間が求めるべき大切な事をもう一度考えさせる為に
広がっているのかもしれません。
この重苦しい毎日が、生きる為に本当に大切な事や何のために
踊るかを教えてくれる大切な日々なのかも知れません。
もうすぐトンネルの出口が見えて来ると思えます。
新たなる世界が始まった時、その後の人生をより豊かに楽しく
する為にも、今与えられた時を大切に生きる事が求められます。