私達人類は互いに歩み寄り触れ合い思いを伝え合う事で
文明を発達させて来ました。
時には直接触れる事から、様々な方法で互いの意思の疎通を
計りながらより豊かで幸せな人生を送るべく生きて来ました。
互いに近づき思いを確かめ合いながら協力し合う事に因り
地球の生き物の頂点に達したと言っても過言では有りません。
しかしながら、私達はその結果生まれた豊かな生活や
何でも欲しいものを手に入れられる日常が私達の幸せを
生み出していると思いがちです。
目に映る素晴らしい近代社会や豊かな日常生活の全てが
自らの求めるものと勘違いしがちなのです。
本当は、長い歴史の中で人々がより豊かな暮らしを求め
より幸せに成ろうとして生み出した結果なのです。
この事は生きている限り続けられる人間の生き様であり
この思いが有るからこそ更なる豊かな暮らしが生れるのです。
ほんの些細な日常の事であっても、心を通わせ最も適切な
方法を選択出来ているからこそ無意識に生きられるのです。
例え毎日同じ事をしている様に思えても、その時々で反射的に
自分にとって最も相応しい選択をしているのです。
特に日常生活に於いては五感を通じて感じる外界の変化を
感じる事が出来るからこそ大きなトラブルと成る事は少なく
殆どの場合思い通りの生活を続ける事が出来るのです。
しかしながら、この近接し五感で感じる事を遮断されたら
太古の昔から人類が進化して来た術を失ってしまうのです。
近代社会は私達の手と成り足となり世界中の欲しい物を
手に入れたり体験させてくれる無限の欲求を満たしてくれる
システムで作られています。
個人の様々な要求を満たす様に作られているのが現代社会
と言えるのです。
今やその最も基本的な欲求である対人的な接触を否定され
互いに助け合い文明を築き上げている人間としての思いを
感じ合う事が出来ません。
逆に不幸を与え合う事にも成りかねない状況なのです。
人類の生き方を否定されていると言っても過言では有りません。
いつ止むとも言えない感染の広がりは言いようのない不安を
人々の心に生んでいるのです。
例え家族であっても労り合い癒す事すらできなく成ります。
隔離され話す事すら許されず、不幸にも命を失えばそのまま
灰と成るまで面会すら出来ないのです。
前の日まで幸せな家族の生活が有っても、親しい友と互いの
友情を温め合っていたとしても、一度感染が発覚すれば
離れ離れに成ってしまうのです。
今まで人類を襲った感染症でこれ程心と身体に酷いダメージを
与えた病は有りませんでした。
例えかつてヨーロッパを襲ったペスト菌の猛威も、ヨーロッパに
多大なる被害をもたらしたとはいえ、世界中に広まる事は無く
人類全体が脅威に晒される事は有りませんでした。
恐ろしいのはいまだその猛威は衰えず、終息の目途が全く
見られないと言う事です。
いつまで我慢すれば良いのか、果てしなく続く恐怖と不安は
人々の心を益々疲弊させて行きます。
今や人類が人類として地球に存在する事を問われているかの
様に思えます。
私達が人間として生きる為の最も大切な部分を否定される事で
人類が絶滅されかねないのです。
いつかはこの悪夢が覚める時が来ると信じたいですが、
この悪夢を一掃できるのは、やはり私達人が歩んで来た
生き様をより強くするしかないのです。
その為には例え互いに近づき互いの気持ちを確かめられず
もどかしい思いで有っても、互いに信頼をし絆を失わない様
いつか自由に語らい触れ合える日が来ることを信じる事です。
近代文明が人々の究極の欲求を満たして来た事に依って
地球の生き物達との関わり合いを失い、多くの資源や食料を
失う結果と成っている事を考えましょう。
生き物達のバランスを壊した事に因り、様々な危険なウイルスが
毎年生まれている事実を知りましょう。
私達人類が豊かに暮らせるのは、私達を支える地球の生き物が
有ってこそであり、全てのバランスが維持されていて初めて
可能なのです。
人間の都合で作られた地球環境が全ての災害を生み出している
ので有り、この重苦しい毎日の元凶でも有るのです。
本当の幸せとは何なのか、手足をもがれて自由が効かない様な
重苦しい毎日に考えなければならない事でも有るのです。
私達は経済的に豊かに生きる多くの術を持ちました。
しかし、それは幸せになる為の手段であり目的では有りません。
地球上の生き物全てが健全に生きて行ける環境を生み出すための
手段でなければ成りません。
人間が生み出す物は、地球環境を豊かに健全にする物でなければ
この先更なる危険なウイルス出現の可能性が高く成るのです。