社交ダンスが、何故一部の人達だけの楽しみに成ったのか | 社交ダンスはヒップホップよりやさしい

社交ダンスはヒップホップよりやさしい

学校教育におけるダンスと言えば,ヒップホップが主流となっていますが、社交ダンスは二人で助け合って踊ることにより誰でも覚え易く、技術とマナーが自然と身に付きます。
子供からご年配まで、踊ることにより相互理解が得られる、素晴らしい芸術的スポーツです。

時たまテレビで芸能人がチャレンジしてその存在が

知られるものの、現在の社交ダンスの日本社会における

国民の認知度はとても低いものです。

 

戦後テレビが普及して来ると、社交ダンスをメディアが

頻繁に紹介する様に成り、競技会だけでなくレッスン番組も

毎週見られる様に成りました。

毎年海外から招待される一流選手や世界チャンピオンの

目を見張る美しい踊りは、多くの国民が社交ダンスを楽しむ

切っ掛けに成りました。

当時日本中のダンスホールやダンス教室には、仕事帰りの

サラリーマンが押しかけ、お昼時には主婦の社交場として

賑わったものです。

 

しかしながら、バブルの崩壊を境に、社交ダンスは急激に

日本国民の興味の対象から消えてしまったのです。

ほんの一部の中高年の方々や大学のサークルなどで

踊られる事は有っても、一般社会でダンスと言えば、

子供達が集中するヒップホップやクラッシクバレーと言った

集団で踊ったり、個人的な芸術を追求するものと成りました。

 

何故社交ダンスはこれ程にも廃れてしまったのでしょう。

もし、テレビで芸能人が踊らなければ、日本国民の殆どは

その存在すら知らないと思われます。

確かに、戦後半世紀を過ぎれば、ネットの発達も有り

無限と言う程遊びが増えました。

人々の興味も多岐に渡り、細分化された習い事は、

個人を満足させる事が優先される様に成りました。

 

本来社交ダンスは、対人的センスを育て、男女のマナーを

通じて立派な社会人を育てる意味合いが有ったのですが、

いつの間にか、ペアで踊っているものの、ステップやテクニック

と言った社交ダンスを踊る為のアイテムを覚える事が目的と

成ってしまったのです。

例え一緒に踊っていても、男女其々が自分のノルマを果たし

外見的に美しく格好良く見えさえすれば良しとする、本来の

社交ダンスの目的を失ってしまったのです。

 

確かに、競技選手やテレビ番組で華やかな衣装を着て、

楽し気に踊る芸能人を見れば、多くの人々は、同じように

踊れば自分も楽しく踊れると思ってしまいます。

その結果、社交ダンスの門をたたく方も多くいたのですが

実際は、習いだした途端、自分自身の身体が思う様に

踊る事も動く事も出来ず、直ぐに興味を失ってしまう方が

とても多いのです。

 

社交ダンスは、お相手と楽しく踊れて初めてその魅力が

感じられるのです。

所が、正しいとされるステップや運動表現をシッカリと習って

間違いない様に踊ろうとすると、途端に身体が不自由と成り

外見とは裏腹に常に不満の気持ちが沸き上がって来るのです。

他のエアロビックスやヒップホップには無い、対人的な不満が

常に付きまとう踊りにどれ程の方が我慢できるでしょう。

 

当然、心が自由と成り楽しめる他の踊りや習い事に目を向け

社交ダンスの夢が失せてしまう人が多くなるのです。

どんなに上手な人に習っても、その方の踊り方を真似るだけの

特定の人としか踊れない社交ダンスでは、誰が踊っても

お互いに苦しみしか生まないのです。

社交ダンスは、日本に入って来てから、外見的な魅力のみに

目を向け、本来の男女の人間としての関わり、社会への

大切なマナーの習得の道を棄ててしまった事が、しだいに

人々の心を遠ざけたと言えるのです。

 

しかしながら、現代社会で一番求められているのは、実は

社交ダンスが作られて来た本来の目的で有るのです。

いまや、学校も一般社会も、多くの人々は対人的なトラブルで

苦しんでいます。他人の気持ちが解らず、平気で心や身体を

傷つける人がとても多く成りました。

日々のニュースで、イジメ、差別、ハラスメントは日常的であり

被害者にならない為に、ますます人との関わり合いを無くそうと

孤立化する日本人が非常に多く成っているのです。

 

本当は誰でも自分の身の回りの人と仲良くしたいものです。

所が最近の人達は、対人センスが育っていない事から、

どの様に他人と関わったら良いか解りません。

問題は、男女に於いて、如何にお付き合いをしたら良いか

アプローチをしたら良いか全く解らない若者が多い事です。

人と人とのコンタクトの方法が全く解っていない人達が

とても多くなってしまっているのです。

 

心の中では親しくしたいとか友達に成りたいとか思っても

実際にはどうしたら良いか解らず、自分だけの勝手な思いで

人を傷つける場合が少なくないのです。

社交ダンスは、あらゆる世代の人とコンタクトして踊れる様に

本来できているのです。

沢山のステップやテクニックは、二人が楽しくコンタクトして

お互いの気持ちを理解する為に有るのです。

社交ダンスの目的が外見的な美しさやテクニックに片より

本来の大切な目的が無くなっている事が問題です。

 

欧米社会では、社交ダンスの先生は、マナーの先生と

呼ばれています。

踊りが上手であるだけでなく、人間として社会人として

マナーに優れているからです。

しかしながら、日本で教える立場の方にマナーの先生

として尊敬される方が少ないのが実情です。

ダンスが上手に踊れれば、自分の我儘が通用するとしたり

自分の考え方を強要する事が出来ると思っている方が

目立ちます。

 

本当に社交ダンスが日本社会で認められる様に成るには

社交ダンスを踊る意味を誰もが理解できるレッスンが

行われる様に成る事が大切です。

また、喜びとは自己満足で終わっていてはならない事を

私達は深く考える必要が有ります。

一方的な欲望や満足は、人の心と身体を傷つけるだけでなく

その苦しみは自分に返って来る事を知らなければ成りません。